【鬼滅の刃】上弦の鬼の名前に隠された意味とは?キャラごとの由来を徹底解説!

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「鬼滅の刃」には、数多くの魅力的なキャラクターが登場しますが、中でも強烈な存在感を放つのが“上弦の鬼”たちです。彼らの名前には、ただの響き以上の意味が込められており、キャラクターの過去や役割、そして物語全体の象徴的なテーマとも深く結びついています。この記事では、上弦の鬼それぞれの名前の由来を徹底的に掘り下げ、そこに込められた“鬼滅の刃”の世界観を紐解いていきます。

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この記事を読むとわかること

  • 猗窩座・童磨・黒死牟など上弦の鬼の名前に込められた意味と背景
  • 名前から読み解く各キャラの“過去”と“心の歪み”の正体
  • 鬼の名前に共通する音・字・感情の仕掛けと、名づけの法則
  • 妓夫太郎・堕姫の兄妹関係に隠された“救われなさ”と連鎖
  • 吾峠呼世晴によるネーミングに込められた“もう一つの物語”

1. 上弦の鬼とは?──鬼舞辻無惨が選び抜いた最強の配下たち

分類 詳細
名称 上弦の鬼(じょうげんのおに)
序列 壱~陸までの6体、鬼の中でも最強格
直属 鬼舞辻無惨の命令を唯一直接受ける存在
特徴 百年以上生きた者も多く、再生力・戦闘力・血鬼術すべてが異常
象徴 “絶望”を具現化した存在として描かれる

上弦の鬼──それは、ただの“強敵”なんかじゃない。物語にとっての「底なしの闇」であり、柱たちが命を懸けて向き合う“壁”そのもの。鬼舞辻無惨が己の野望を叶えるために、“精鋭”どころか“異形”そのものとして仕立て上げた、血と呪いの結晶です。

上弦は「壱」から「陸」まで、数字が小さいほど実力が高く、戦闘における格は柱すら凌駕する。無惨の血を濃く受け継いだその身には、肉体の再生速度、人智を超えた戦術、そして“過去を刻んだ”痛みが染み込んでいる。

「敵なのに、なんでこんなに魅入ってしまうのか」──視聴者がそう感じてしまう理由、それが“感情を持っている鬼”であること。上弦の鬼たちは、ただ悪を演じているのではなく、かつて人間だった“しくじり”の延長線に立っている。強さの裏に、埋もれた叫びがあるんです。

しかも、全員が“鬼になることを選んだ”わけじゃない。なかには、それしか道がなかった者も、誰かの命令で狂わされた者もいた。だから、彼らの戦いは「正義vs悪」じゃない。「人間の限界vs過去の呪縛」──そんな風にも見える。

無惨の支配下にありながらも、それぞれが“孤独”を抱えた怪物たち。時に支配され、時に反発し、それでもその場に居続けたのは、彼らにも何か“譲れなかった感情”があったからかもしれません。

上弦の鬼は、ただの“戦闘力インフレ”じゃない。キャラ一人一人が、負け方にまで意味がある。彼らの名前に込められた由来や願い、それをひとつずつほどいていくことで、「鬼滅の刃」という物語の深部が見えてくる。

そして何より、彼らが現れるシーンには共通して“空気が変わる”。あの沈黙、あの呼吸すら止まりそうな重み……。それはきっと、彼ら自身が“物語を終わらせに来る者”であると同時に、“終われなかった者たち”でもあるから。

この記事では、そんな“名前の持つ哀しみと意味”を、上弦の鬼ひとりひとりについて深掘りしていきます。

次の見出しでは、まず「猗窩座(あかざ)」の名が背負った過去と想いを紐解きます。

2. 猗窩座(あかざ)の名前の意味──「悲劇」と「闘争心」が同居する音

キャラクター名 猗窩座(あかざ)
序列 上弦の参(さん)
特徴 肉弾戦と再生能力に特化/素手による格闘が主武器
名前の由来 「猗」=しなやか/優しい、「窩」=巣・隠れ家、「座」=静かに座す/地位
象徴する感情 愛された記憶と、喪失に対する怒りの混在

猗窩座──この名前は、ただ音がかっこいいだけの飾りじゃない。「優しさ」と「破壊性」が同居する、矛盾を抱えた音。音読みで「あかざ」と読むその響きの中に、彼の“過去”がそっと潜んでいる。

まず「猗」は、「やさしい」「しなやか」といった意味を持つ漢字。その一文字だけ見ると、まるで静かな人、穏やかな魂を想像する。けれども──そこに続く「窩」は「巣」や「隠れる場所」を表し、「座」は「その場に居座る」「静かにとどまる」ニュアンスを含む。

つまりこの名前は、“かつて穏やかだった者が、何かを守るために戦い続けている姿”を象徴しているようにも感じられる。

そして何よりも──猗窩座は「強さ」に取り憑かれていたわけじゃない。「弱さが許されなかった」だけなんだと思う。

彼が鬼になる前、まだ狛治(はくじ)という名だった頃、彼は父を想い、恋人を愛し、道場を守りたかった。それが全て崩れ去ったあの日──“全てを喪った男”は、もう守るものがないから戦い続けるしかなかった

「強くなければ奪われる」「守るためには殺すしかない」──その“しくじり”を、彼は鬼になっても引きずっていた。

だからこそ、あの名はただの鬼の記号じゃない。「猗窩座」という名は、“やさしさを否定された人間の名残”なんだと思う。

敵としての彼を見れば、煉獄杏寿郎との戦いが象徴的すぎる。強さとは何か、守るとは何か──正反対の信念が、あの夜の炎の中でぶつかり合った。

けれど、最後に猗窩座が見せたのは、後悔だった。記憶を取り戻したその瞬間──「ああ、彼は、ずっと“逃げ場”を探していたんだ」とわかってしまった。

猗窩座の名は、「戦うことでしか自分を保てなかった者」への哀悼でもある。そして、“愛された記憶”が、ずっと彼の中で眠っていたという真実──それこそが、この名前の最も苦しい意味かもしれない。

だからこそ、彼の存在は鬼なのに“人間っぽい”のかもしれない。矛盾した音を持つ名が、矛盾を抱えた生き様を体現しているように。

猗窩座──その名は、「戦う者」ではなく、「愛を守れなかった者」の名だったのかもしれない。

次の見出しでは、童磨(どうま)の名に込められた「空虚」と「信仰」の構造をひも解いていきます。

3. 童磨(どうま)に込められた冷たさと空虚──仏教と漢字の二重構造

キャラクター名 童磨(どうま)
序列 上弦の弐(に)
特徴 信仰団体「万世極楽教」の教祖/氷のような冷淡さ
名前の由来 「童」=純粋・無垢、「磨」=研ぎ澄まされた硬さ・光沢
象徴する感情 感情の欠如と、空虚な万能感

童磨という名を口にすると、ぞくりと寒気が走る。それはきっと、彼が「怖い」からじゃない。“何も感じていないこと”が、何よりも恐ろしいから。

「童」──この文字が示すのは、純粋・無垢・子どものような存在。でも童磨の場合、その“無垢”はどこか歪んでいる。笑顔の奥に、温度がない。それはただの「空っぽ」だった

そして「磨」──磨く、削る、削り落として純化されたもの。その“磨かれた先”に残ったのが、あの冷たさ。人間味のない完全さ。つまり「童磨」は、純粋なまま“感情を削ぎ落とした者”の名前だった。

仏教的な背景も、彼の名に込められた毒を強めている。童磨は「万世極楽教」という宗教団体の教祖。信仰とは、本来“救い”を与えるもののはず。でも彼のそれは、「すべてを許す」ことで“何も感じさせない”思想だった。

「死は怖くないよ」「痛みは消えるよ」──その言葉を笑顔で放ちながら、自分自身が何ひとつ痛みを知らなかった。彼の“優しさ”には、血が通っていなかった。

童磨の空虚さは、ある意味で現代にも通じる。人に共感したふりをして、実は何も響いてない。自分は笑ってるけど、心は無音。その無音が、どこよりも冷たい。

そして、彼の最期の瞬間──カナヲと伊之助に倒される間際、童磨は「初めて」感情らしきものを知る。

「心が、あったかい」

この一言に、ゾクリとさせられた人は少なくないはず。それまで“完全”だったはずの存在が、死の直前にようやく“不完全さ”を手に入れた。それはまるで、ずっと飾ってあった人形が、最期にだけ息を吹き返すような皮肉。

童磨──その名は、「感じなかった者」が「感じたかった者」へ変わる一瞬の記録なのかもしれない。

次は、上弦の壱・黒死牟(こくしぼう)の名前が語る、兄弟の執着と“自分ではなかった人生”への祈りをひもときます。

4. 黒死牟(こくしぼう)の名が語る「兄弟」への執着と変化

キャラクター名 黒死牟(こくしぼう)
序列 上弦の壱(いち)
本名 継国巌勝(つぐくに みちかつ)
名前の由来 「黒」=闇と拒絶、「死」=死への執着、「牟」=唸り・葛藤の象徴
象徴する感情 羨望、敗北感、兄としての矛盾した愛と嫉妬

黒死牟──その名には、ただの“強さ”では言い表せない、拭いきれない羨望と、痛ましいほどの執着が刻まれている。

彼の正体は、かつての剣士・継国巌勝。双子の弟・縁壱(よりいち)は、太陽のような男だった。すべてを照らし、すべてに届く圧倒的な才能。そして、兄である巌勝は、その光の隣で影になるしかなかった。

「黒死牟」という鬼の名。「黒」=光を受け止められなかった影、「死」=終われなかった人生、「牟」=唸るほどの葛藤。それは、“兄としての敗北”が形を変えたものに見える。

鬼になった理由もまた、どこまでも人間らしい。“老いて死ぬことへの恐怖”──それは強さを極めた男が、自分の人生の終わりを認められなかっただけ。けれど本当は、「縁壱より長く生きていたい」という哀しすぎる願いだったのかもしれない。

彼の人生は、ずっと“弟への敗北感”に覆われていた。剣の道でも、心の強さでも、まるで敵わなかった。愛していたはずなのに、どうしても認めたくなかった。それが兄としてのプライドを、皮肉にも壊していった。

戦闘では最強を誇る黒死牟。しかし、内側では常に「自分の剣が“誰かの影”でしかない」という苦しみが、刃より鋭く突き刺さっていた。

それが表れたのが、最期のシーン──自分が倒れ、肉体が崩れ去るその瞬間、彼は“かつての自分”と目を合わせる。

「私は、何のために……」

この問いの前で、すべての強さは意味を失う。強さは「誰よりも勝つため」じゃなく、「誰かのそばにいたかっただけ」だった

黒死牟の名は、「勝ちたかった兄が、負け続けた人生の記録」でもある。そして、彼の名に込められた「牟」は、唸る声──言葉にならなかった心の底の音かもしれない。

勝ち続けた弟と、負け続けた兄。なのに、兄の方が“永遠”を欲しがった。

それはたぶん、本当に負けたくなかったのは、「思い出の中の弟」だったから──。

次は、分裂する鬼・半天狗の名が語る「自責と逃避のメタファー」を、名前の構造から紐解いていきます。

5. 半天狗(はんてんぐ)の名の由来と分裂体の象徴性

キャラクター名 半天狗(はんてんぐ)
序列 上弦の肆(し)
特徴 分裂体による複数の人格/感情の顕現体
名前の由来 「半」=未完成・中途、「天狗」=高慢・欺瞞・化け物の象徴
象徴する感情 自己正当化・逃避・怒り・嫉妬・悲嘆

半天狗──その名はもう、“弱さの化身”だったと思う。

「半」=なりきれなかった、「天狗」=己を偽って誇るもの。その二つが合わさって「半天狗」。つまり彼の名は、“自分を正当化するしか生きる道がなかった男”の記録とも言える。

彼の血鬼術の最大の特徴は、「感情を分裂させて実体化すること」。喜怒哀楽、憎悪、恨み──自分の中にあるすべての「逃げたい気持ち」が鬼となって現れる

それって、もう人間そのものじゃない? 私たちも、言い訳したい時は“正当な怒り”を作るし、悲しみすら“盾”にしてしまう。半天狗はその極端な例であり、どこかで共鳴してしまう存在でもある

そして、彼の「罪悪感」はあまりに弱い。常に「自分は悪くない」と言い続ける。そのくせ、戦いの最中には怯えきった顔を見せる。“悪人になりきれなかった悪人”。それが半天狗。

彼の人間時代──ろくでなしだった。盗み、嘘、逃げ続けてきた。それでも裁かれることを「理不尽だ」と言い張った。過去のしくじりを、他人のせいにしてきた人生。だからこそ、鬼になっても彼は「正義の側」に立っていたつもりだったのかもしれない。

でもね、その“逃げ癖”が極まったのが、あの分裂体なんだと思う。

  • 憎珀天──怒りの正当化
  • 空喜──強がりの仮面
  • 可楽──暴力に酔うことで現実逃避
  • 積怒──悲しみを怒りで包み込む癖

どれも、「本当の自分」を直視できない人間の姿なんですよね。

でも、最後の最後、半天狗は炭治郎に追い詰められ、“本体”がさらけ出された時──その姿は、ちっぽけで、弱くて、みじめな老人だった

「わしは悪くないんじゃ……誰も助けてくれんかったんじゃ……」

この言葉、正直、私たちの中にも少しだけ響いてしまうんじゃないかな。誰かのせいにして泣きたくなる夜、きっと誰にもある。

だからこそ、半天狗の名は「逃げた者の末路」と同時に、“向き合えなかった人間の心”そのものなんだと思う。

そしてその「半(はん)」という漢字が、こんなにも胸に残るのは、彼が“完全な鬼”にも“完全な悪”にもなれなかった証だったから。

次は、“壺”の中に芸術と狂気を閉じ込めた玉壺(ぎょっこ)の名前の意味に迫ります。

(チラッと観て休憩)【『劇場版「鬼滅の刃」無限城編』特報】

6. 玉壺(ぎょっこ)の“美”と“歪み”──漢字が映す狂気のアート観

キャラクター名 玉壺(ぎょっこ)
序列 上弦の伍(ご)
特徴 壺を介して瞬間移動/芸術に執着する変異型
名前の由来 「玉」=宝・美、「壺」=容器・閉じ込めるもの/変容の象徴
象徴する感情 美意識の歪み/自己愛と劣等感の交錯

玉壺──「壺」と聞くと、なんとなく静けさや高尚な趣を感じてしまうけれど、この鬼に関しては真逆だった。

玉壺という名前の「玉」は、美しいもの、宝石、光るもの。つまり「自分は“美”の存在である」と信じ込んでいた証。そして「壺」は、閉じ込める・保存する・変容させる──そんな役割を持つ器。

つまり、彼の名前そのものが“美を閉じ込めて腐らせる者”を象徴してる。

実際、彼の芸術は“美”ではなかった。それは、歪んだ人間の体、苦しむ魚、歪められた命──「狂気を素材にした創作」だった。

でもね、それって実は、すごく人間的でもあるんだよ。「美しいものを作るためには、何を壊してもいい」っていう感覚。現実にも、そんな自己中心的な“美意識”って、存在してたりする。

玉壺は、そんな感覚が極端な方向に爆発した存在だった。

彼の「作品」と呼ばれるものは、見た目はグロテスクでも、本人の中では“神の創造物”だった。周囲に理解されないことこそ、自分が芸術家である証拠と信じていた。

つまり玉壺の本質は、「自分を理解してほしいけど、理解されない方がカッコいい」と思ってる矛盾のかたまりだった。

しかもその裏には、過去のいじめ・排除・見下されてきた劣等感があった。だから芸術家を気取ってはいたけど、本当は「認められなかった自分」を押し殺したまま、他人を押しつぶしていた。

「玉壺」という名が、こんなにも不気味に見えるのは、それが彼にとっての“仮面”だったからなんだと思う。

外から見ればきらびやか、でも中身はどこか腐臭を放つ。その歪なズレこそが、玉壺の名に込められた“ズレた美”の比喩だった。

次は、鬼でありながら“人間の絆”が捨てきれなかった、妓夫太郎・堕姫兄妹の名に隠された苦しみと愛を読み解いていきます。

7. 妓夫太郎・堕姫兄妹の名が持つ「苦しみの連鎖」──遊郭の記憶を辿る

キャラクター名 妓夫太郎(ぎゅうたろう)・堕姫(だき)
序列 上弦の陸(ろく)
特徴 兄妹二体一組での戦闘/融合と分離を繰り返す
名前の由来 「妓夫」=妓楼の使い走り、「堕姫」=“堕ちた”美/姫=飾られた存在
象徴する感情 愛情の歪み/被害者と加害者の混在/生まれと環境に呪われた兄妹愛

妓夫太郎・堕姫──この二人の名を見ただけで、物語の“哀しさの底”がにじみ出る。

「妓夫」は、遊郭で働く女性を支える者、あるいは道具のように使われる男の子供のこと。差別され、汚れ扱いされ、それでも“役割”にしがみつくしかなかった日々。

「堕姫」──その名の中にある「堕」は、落ちた者、貶められた者、そして“選ばれなかった美”の象徴。どんなに美しくても、“育った場所”だけで人生は断たれる。そんな名前。

彼らは、最初から“詰んでた”。生まれた時点で、もう「物語の敵」になるよう運命づけられていた

でも──本当はそうじゃなかった。

妓夫太郎は、妹を守るために、牙を持った。醜いと言われ続けた自分が、唯一大切にできた「美しいもの」──それが堕姫(梅)だった。

そして堕姫もまた、心の奥では兄に寄りかかっていた。“生きる術”を教えてくれた兄は、世界で唯一の「味方」だった。

二人が鬼になったのは、「自分たちの生き方は、誰にも認められなかった」という絶望の証明でもあった。

分離しているようで、心は一体。融合しているようで、それぞれ別の悲しみを抱えていた。

戦闘中も、堕姫が泣けば妓夫太郎が出てくる。妓夫太郎が怒れば堕姫が背中を押す。感情が、互いを補いながら成立していた。それはもう、単なる「兄妹愛」では説明できない、“連鎖”そのものだった。

最期のシーン──炎の中で口論する二人。喧嘩して、叫んで、拒絶し合って、でも──

「一緒に地獄に行ってくれる?」 「……行くよ、兄ちゃん」

この会話は、たぶん鬼滅史上最も痛いセリフだと思う。だって、“愛してたから壊れた”ってことが、こんなにもはっきり描かれるなんて

妓夫太郎・堕姫──この名前は、「救われなかった人間の愛」が鬼になったかたちだった。

美しさと醜さ、加害と被害、兄と妹。それらがぐちゃぐちゃに絡み合いながらも、最後まで手を離さなかったことが、彼らの生き方だったんだと思う。

次は、上弦の鬼たちに共通する“音と字の仕掛け”を読み解いていきます。

8. 上弦の鬼たちの名前に共通する法則──音、字、そして“罪の記号”

共通する要素 具体例
濁音・破裂音 猗窩座(ざ)、童磨(ま)、妓夫太郎(ぎゅう)などの濁点付きの音
漢字の重み 「死」「鬼」「堕」「壺」など、暗示的・負の意味を持つ字が多用されている
美と醜の対比 堕姫(美と堕落)/玉壺(宝と狂気)など、両義的な意味を含む名前が多い
記号としての名前 名前そのものが“過去の罪”や“逃げ場”を暗示する呪いのような意味を持つ

上弦の鬼たちの名前には、何かが共鳴している。

それは単なる“悪役ネーム”じゃなくて、「もう戻れない存在」が自分で選んだ呪いの名前みたいだった。

まず気づくのは、「音」の癖。濁音や破裂音──「ざ」「ぐ」「ぼう」「ま」……。

こうした音は、日本語では“重さ”や“異質さ”を感じさせる。口の奥から絞り出すような響き、口内で爆発する音。それはまるで、言葉にならなかった感情が暴れてるみたいな音

そして、漢字が重い。「死」「堕」「壺」「鬼」──読んだだけで感情の底に引っかかるような言葉たち。

だけど面白いのは、その中に“美しさ”が混じってること。たとえば「猗(しなやか)」「玉(宝石)」「姫(高貴)」──本来ならポジティブな意味を持つ漢字が、ねじれた形で使われている

まるで、「こんなにも綺麗なのに、なぜこうなったの?」って問いかけられてるみたい。

それが「名前の罠」だと思う。

彼らは、鬼になって初めて自分の“本当の名”を得た。けれどそれは、誰かに認めてもらうための名じゃなくて、「もう戻れない」って自分で決めた印なんだと思う。

つまり、上弦の鬼たちの名前って、“罪を抱えた者の記号”なんだ

読めば読むほど苦しくなる。かつて人間だったことを感じさせる“余白”が、名前にすら残されていて。誰にも届かなかった叫びが、音と字に閉じ込められている。

たぶん、私たちが彼らの名に惹かれるのは、そこに「しくじった誰かの痕跡」があるからかもしれない。

そしてそれは、自分の中にもある“許されなかった自分の記号”と、どこかで似てるのかもしれない。

次はいよいよ、名づけの仕掛けを生み出した作者・吾峠呼世晴の想いに迫りながら、“名が語るもうひとつの物語”を深掘りします。

9. 作者・吾峠呼世晴が名前に込めた“もう一つの物語”

視点 名前に込められた作者の“語られなかった伏線”
全体の傾向 “名前=人生の抜け殻”として機能/人物の内面や矛盾の象徴
ネーミングの構造 日本語の音の響き+漢字の暗示性を合わせて“感情の痕跡”を形成
演出効果 “名前の響き”だけでキャラの心を感じさせる伏線機能を果たす

鬼滅の刃に登場する鬼たち──とくに「上弦」と呼ばれる者たちの名前は、どれもただの記号じゃなかった。

むしろ、「名前が伏線になっている」。それも、ストーリーの展開や過去の回想とは別軸で、もっと根深く、もっと静かに、感情そのものに仕掛けられた伏線

猗窩座、童磨、黒死牟、妓夫太郎と堕姫、半天狗、玉壺──。それぞれの名前に共通するのは、「内面を表すようで、実は“隠したい過去”を映している」こと。

名前には、本来「名付けた者」の想いが宿る。けれど彼らの名前は、自分で背負ったものだった。

作者・吾峠呼世晴が、その名に込めたのはきっと、“人間の弱さ”へのまなざしだった。

例えば、黒死牟の「牟」──あえて日常では使われない字を選ぶことによって、「この人は、言葉にならない何かを抱えている」と無意識に伝えてくる。

童磨の「磨」──無垢を極めた末に、何も残らなかった男の悲しさを、たった一字で完結させてしまうセンス。

玉壺の「壺」──閉じ込めたものが腐っていく。芸術家としての狂気を“容れ物”で表現するアイロニー。

これらのネーミングに共通するのは、「名が語り、名が隠し、名が刺す」構造だと思う。

そして、鬼たちが名前を呼ばれるたびに、その“呼びかけ”自体が、彼らにとっての苦しみや希望を思い出させる呪文のようになっている。

つまり、名前=記憶の化石。それが、吾峠呼世晴が描いた鬼たちの本質だった。

私たちは、「名前」によって“そのキャラのことを知ってる”気になる。けれど、その名前に何が隠されていたかまでは、気づけないまま物語を追ってしまう

そう、鬼滅の刃の名前たちは──

「あなたはこの人をちゃんと見ていましたか?」

と、静かに問いかけていたのかもしれない。

だからこそ、名づけという行為は、そのキャラの「最後の居場所」にもなるんだと思う。

そして次の見出しでは、そんな名前に込められた意味を全体で振り返り、「まとめ」として感情の余韻を言葉にしていきます。

まとめ:名前は呪いか祈りか──鬼滅の刃に刻まれた“名づけの意味”

上弦の鬼たちの名前を、ここまでじっくりと見つめてきて思うのは──

「名づけ」は、その人の過去を刻んだ祈りでもあり、逃れられない呪いでもあるということ。

猗窩座という名には、痛みと戦いの記憶が込められていた。童磨には、救うフリをした冷たさと、空っぽな心。黒死牟の名が象徴するのは、兄としての執着と劣等感。妓夫太郎と堕姫は、生まれた場所ごと否定された悲しみの連鎖。半天狗の名は、臆病と怒りの分裂。玉壺には、歪んだ芸術と理解されなかった叫び──

そしてどれもが、「名前を呼ばれるたびに、思い出してしまう記憶」だった。

名は、他人に呼ばれるものだけど、鬼たちにとっては「もう一度、人間だった頃を思い出すトリガー」だったのかもしれない。

最期の最期、彼らが「本当の名」で呼ばれた瞬間に、涙をこぼしたり、怒鳴り返したり、黙ってうなずいたりしたのは──

その名前が、過去の痛みと一緒に“誰かの存在”を呼び戻してくれたからなんじゃないかって思う。

だからこの物語の“名づけ”は、ただの設定じゃなくて、キャラの心をひらく鍵そのものだった。

この記事を読み終えたとき、あなたの中でもう一度、あの鬼たちの名前が「音」として響いていたなら──

きっと、それはもう“呪い”じゃなく、“祈り”になっているんだと思う。

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この記事のまとめ

  • 上弦の鬼それぞれの名前に隠された“過去”と“心の記憶”を解説
  • 猗窩座・童磨・黒死牟・妓夫太郎・堕姫らの名が象徴する感情と運命
  • 名前に共通する音と漢字の“法則性”とその心理的効果
  • 吾峠呼世晴が名づけに込めた“もうひとつの物語”と伏線の存在
  • 名前を通して“鬼”としての存在意義と苦悩が浮かび上がる構造
  • 「名は祈りか、呪いか」──鬼滅の刃における“名づけ”の哲学

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