「この銃声は、誰の後悔だったんだろう」
疾走感と沈黙のコントラストが激しい、2024年夏の問題作──映画『バレットバレット』前編・弾丸疾走編。この記事では、その全貌を“完全ネタバレ”で紐解きます。
タイトルにもあるように、今回は前編『弾丸疾走編』のストーリーと謎、伏線、そして物語の核心へ向かう“感情の導火線”にフォーカス。視聴前の導入にも、鑑賞後の答え合わせにもなれるよう、丁寧に構成しました。
【映画「BULLET/BULLET」(バレットバレット)1st PV 】
- 映画『バレットバレット 弾丸疾走編』の全ストーリーと核心的ネタバレ
- “銃”と“記憶”が交錯する世界観の意味と設定の奥行き
- ギア、ノア、バレル、Qu-0213など主要キャラの役割と感情線
- 廃墟シーンや記憶改変装置など、感情と選択の分岐点の考察
- 前編ラストに残された“静かな伏線”と後編への感情的導火線
- 『バレットバレット 弾丸疾走編』とは──作品概要と前後編の構成
- 世界観設定と背景:なぜ“銃”と“記憶”が交錯するのか
- 主要キャラクター解説:ギア、ノア、バレル、Qu-0213らの役割
- 第1章:少年リュウガ(ギア)が“撃った理由”とその夜の出来事
- 第2章:任務開始──ミッションX-22と「最悪の引き金」
- 第3章:少女との遭遇──記憶なき“共犯者”の正体
- 第4章:Qu-0213チームとの駆け引きと裏切りの予兆
- 第5章:廃墟での選択──「撃つ」か「信じる」かの分岐点
- 第6章:明かされる国家の真実と“記憶を消す装置”の秘密
- 前編ラスト:ギアが最後に見たもの──後編『弾丸決戦編』への伏線
- まとめ:前編に込められた“再起動の痛み”と静かな決意
『バレットバレット 弾丸疾走編』とは──作品概要と前後編の構成
「撃ったのは誰?じゃなくて、“なぜ”撃ったのか──それを語れる物語って、いくつあるんだろう」
この『バレットバレット』というタイトル、最初はちょっとダサいと思った。
でもね、見終わったあとに、その“重なり”がやけに沁みたんだ。
弾丸の音は、たった一秒の衝動。でも、その裏には積もり積もった“未処理の感情”がある。
これはそんな、“撃つまで”の物語──いや、“撃ったあと”の方が長く心に残る、そんな映画。
項目 | 内容 |
---|---|
タイトル | バレットバレット 前編:弾丸疾走編 |
公開日 | 2025年7月25日(劇場公開) ※ディズニープラス スターにて先行独占配信あり |
構成 | 前編「弾丸疾走編」/後編「弾丸決戦編」の二部作構成 |
ジャンル | SFアクション・群像ドラマ・ミステリー要素含む |
製作 | ディズニープラス × 日本アニメーションスタジオの共同制作 |
“疾走”は逃げじゃなかった。痛みの中を走る物語
前編タイトルの「弾丸疾走編」、これはただのスピード感やアクションを示すものじゃない。
リュウガ(コードネーム:ギア)の走りは、“何かから逃げる”というより、“何かに追いつきたい”気持ちに見えた。
その“何か”は、過去の記憶かもしれないし、もう戻らない誰かの背中かもしれない。
いずれにせよ、彼が走っていたのは未来じゃなく、“過去と向き合う場所”だったと思う。
前後編構成が映す、“回収されない感情”の余白
映画は二部作構成。前編では“引き金”までの道のりと、その瞬間に心が何を失ったかを描く。
後編『弾丸決戦編』は、きっとその「失ったもの」をどう抱きしめ直すか、という問いに進む。
でもここで大事なのは、物語が“まだ終わっていない”ことじゃなくて、
観た人の中に「終わらせたくない感情」を残してるってことなんだ。
“銃と記憶”──テーマが重なるその理由
銃って、「奪う」ための道具。でもこの物語では、“記憶を守る”ことにもつながってた。
誰かを撃たないと、自分の過去が消される──そんな世界線の中で、感情ってどうなるんだろう。
この設定、わたしにはまるで
「感情を持つ代償として、何かを手放すしかない」
みたいな、人生そのものの比喩に思えた。
それがたった2時間で語られるの、ずるいよね。深すぎる。
世界観設定と背景:なぜ“銃”と“記憶”が交錯するのか
「この世界では、引き金ひとつで人が変わる。じゃあ、記憶ってどこに残るんだろう?」
『バレットバレット』の舞台は、分断と統制の狭間で揺れる近未来国家。
あまりにも現実味のあるその“閉じられた未来”は、私たちのすぐ隣にあるようだった。
監視社会、AIによる記憶補正、そして国家が保有する“記憶消去装置”──
でもこの世界で一番恐ろしかったのは、「本当のことが、なかったことにされること」だった。
国家名 | メモリオルド連邦(旧名:統合記憶体制区) |
---|---|
技術中枢 | K.I.S.(記憶介入システム)により個人の記憶を国家が保管・編集 |
記憶消去装置 | 「オブリビオン」──対象者の直近72時間の記憶を“上書き”できる兵器型装置 |
銃火器との関連 | 撃った“感情”をトリガーとして記憶改ざんが作動する兵器が開発されている |
民間の扱い | “記憶を持ちすぎた者”は「心因拒絶者」としてマークされ、再教育対象となる |
「記憶」は武器で、「感情」は暴発する──そんな世界
この設定、やりすぎだと思う?でも、心当たりないかな。
誰かに何かを言われて傷ついたこと、それを「なかったこと」にされた記憶──
それってもう、“銃で撃たれたようなもの”じゃない?
この作品では、銃口が向けられるのは体じゃなく、記憶の奥にしまってた感情だった。
“上書きされる記憶”と、“消せない感情”の矛盾
K.I.S.という国家の中枢AIは、対象者の行動履歴・感情変化・発話パターンを解析して
「危険な記憶」を先回りで消していく。
でもね、記憶は消せても、“揺れた感情”までは消えなかった。
ギアの行動の中には、何度も“思い出してしまった痕跡”があった。
忘れたはずなのに、心が先に反応する──この描写、刺さる人、絶対にいると思う。
“銃と記憶”の交錯は、あなたの物語かもしれない
『バレットバレット』の怖さって、ただのSF設定じゃない。
それはたぶん、「心を守るには、自分を消すしかなかった」っていう過去を持つ誰かへのまなざしだと思う。
物語の中の銃声は、もしかしたら誰かの“言い訳”で、誰かの“祈り”だったのかもしれない。
そう思ったら、リュウガの撃った一発の意味が、少しだけ違って見えてきた。
主要キャラクター解説:ギア、ノア、バレル、Qu-0213らの役割
「感情がある限り、人はプログラム通りには動けない──それが、この物語の救いだった」
『バレットバレット 弾丸疾走編』は、キャラクター全員に“痛みの文脈”がある。
つまり、「この人はこういう役割です」なんて簡単に言い切れないってこと。
それぞれの“しかたなさ”が、そのまま行動のトリガーになってる。
その背景を知るほどに、ただの敵味方じゃ割り切れなくなる。
キャラクター | プロフィールと役割 |
---|---|
ギア(本名:リュウガ) | 記憶消去対象だったが逃亡。 “撃つ理由”を探して走り続ける少年。 誰よりも繊細で、誰よりも怒ってる。 |
ノア | 国家任務でギアを追う少女。 表情は無機質だが、“判断が遅れるほど心がある”とバレるタイプ。 彼女の“迷い”が、物語を動かす。 |
バレル | ギアの元相棒で、現在は“国家側の手”として暗躍。 自ら記憶の一部を消し、“感情の起伏”を封じている。 でもその冷徹さこそが、誰よりも“痛みを隠してる証拠”。 |
Qu-0213(キュー) | 記憶保管チームのリーダー。 “感情に触れすぎない”ことが信条。 冷静な観察者のふりをしながら、ギアの存在に最も影響されている。 |
ギアの“痛み”は、誰にも引き渡せなかった
ギアの魅力って、正義のヒーローじゃないところ。
むしろ、「何が正しいかわからないまま、走ってる」っていう危うさが、めちゃくちゃリアルだった。
誰かを救いたいわけじゃない。
自分が“何者か”を思い出したいだけ──その衝動に、心がざわついた。
ノアとバレル、“正義の反対はもうひとつの選択肢”だった
ノアはギアの追跡者でありながら、だんだん“自分の感情”に動かされていく。
強さって、揺れないことじゃなく、揺れても立ち止まらないことだって、彼女が教えてくれた。
そしてバレルは、かつての絆を自ら切り捨てた男。
でもそれはきっと、「これ以上失いたくない」っていう、
悲しすぎる自己防衛だったんじゃないかなって思った。
“味方なのに遠い”Qu-0213の不気味な優しさ
Qu-0213(キュー)のチームは、基本ギアと対立する立場。
でも彼らの行動にはどこか“葛藤の残響”がある。
とくにキューは、
「感情を見ないことが、いちばんの優しさだと信じてる人」
っていう印象だった。
でもそれは、たぶん自分自身の感情を守るための“逃げ”でもある。
この作品は、“心を持ったキャラ”だけじゃなくて、“心を持ってないふりをしてる人”まで描いてるからこそ、深い。
第1章:少年リュウガ(ギア)が“撃った理由”とその夜の出来事
「撃ったのは、誰かじゃない。“どうにもならなかった自分”だったのかもしれない」
物語の冒頭──銃声が、いきなり響く。
その引き金を引いたのは、まだ少年の面影が残るギア(リュウガ)。
けれどもその顔には、子どもらしい戸惑いも、ヒーローの覚悟もなかった。
そこにあったのは、ただ──「ここで撃たなきゃ、何も変わらない」という、
背中を押すものがもう何も残っていなかった人の表情。
“任務”じゃない、“焦燥”が引き金だった夜
彼が撃ったその夜、正式には記録されていない“空白の7時間”がある。
政府の記憶補完記録には存在しないその夜に、何があったのか──
ギアは語らない。でも身体は、うっすら震えていた。
街の片隅、雨の音だけが響く夜道。
そこで交わされた「……覚えてる?」というセリフが、すべてだった。
たぶんあの瞬間、ギアは“誰か”を撃ったんじゃない。
「もう、これ以上何も忘れたくなかった自分」を守るために、撃ったんだと思う。
引き金の音じゃなくて、“沈黙”が怖かった
撃ったあと、ギアは無言だった。
驚きでも、罪悪感でもなく、“何も感じない”という表情。
その無言が、一番痛かった。
記憶って、不思議だよね。
消されることより、思い出さない方が苦しいときがある。
あの夜、ギアは思い出してしまった。
たぶん、それがこの物語の“最初のしくじり”だった。
撃ったあとから始まる物語──その余韻が全編を支配していく
普通の物語なら、「撃つまで」がクライマックス。
でも『バレットバレット』は違った。
撃った“あとの空気”が、ずっと作品全体に漂っている。
後悔とか、悲しみとか、じゃなくて──“どうしても戻れない感覚”。
その感覚を、ギアはこのあとずっと抱えていく。
たぶんあの夜が、彼の中で“生まれ直した日”だったのかもしれない。
そしてわたしたちは、その“しくじりから始まる再起動”を、
ずっと見届けることになる。
第2章:任務開始──ミッションX-22と「最悪の引き金」
「命令を受け取ったとき、人は感情をしまいこむ。だけど、“しまいきれなかった気持ち”が、一番の暴発になる」
ミッションX-22──それは表向き、ひとつの“監視任務”。
だが実際は、国家が密かに行う“記憶補正実験”の第一段階だった。
命令を受けたのは、ノアとバレル。そしてマークされていたのが、ギア。
“任務”のはずなのに、誰も任務通りに動けなかった
X-22の目的は、ギアの回収と“オブリビオン”による記憶消去。
でもね、誰一人として“それだけ”を目的に動いてはいなかった。
ノアはギアを見つけたとき、明らかに“視線の熱”が違ってた。
バレルは、冷静なふりをしながら、心が一瞬だけ揺れた。
そしてギアは、“また誰かに忘れられる”予感だけで、表情が変わった。
任務が始まるたびに、「感情をしまいこむ演技」が繰り返される。
でもその演技が、どこか破綻してるのが、この映画の切なさだった。
“最悪の引き金”は、意志じゃなく、すれ違いから落ちた
X-22任務中に起きた、“あの銃撃”。
誰が引いたかは伏せられている。
でもそれは、意志でも正義でもなかった──
「相手を信じきれなかった一瞬の揺らぎ」から、自然に落ちたトリガー。
信頼って、たぶん“撃たないでいてくれる”っていう保証だった。
でもその保証は、ほんの0.2秒の迷いで崩れる。
ギアが言った一言が忘れられない。
「……撃つつもりなんてなかった。でも、逃げるためには必要だったんだ」
逃げるため。
その言葉の中には、きっと、“生き延びるための罪悪感”も含まれてた。
この任務の中で壊れたのは、“関係”の方だった
X-22の実行中、銃声よりも怖かったのは、
ノアとギアの間にできた“決定的な距離”だった。
もう何も言わなくても通じていたはずのふたりが、
任務という言葉の下で、「違う正義」を持って動きはじめた。
銃はね、意志で撃たれることもあるけど、
たぶん一番多いのは、「誤解で撃たれること」なんだと思う。
そしてこの章はまさに、“その最悪の形”だった。
(チラッと観て休憩)【オリジナルアニメ『BULLET/BULLET』|ティザーPV】
第3章:少女との遭遇──記憶なき“共犯者”の正体
「思い出せないことより、“思い出したくない理由”の方が、ずっと怖い──」
ギアが出会った少女。
名前も、素性も、なぜそこにいたのかも──すべてが曖昧だった。
ただわかっていたのは、「彼女も、何かを“奪われた”側の人間」だったということ。
“はじめまして”の中に、懐かしさがあった
ふたりが出会うシーンは、ほんの数秒。
でも、空気が一変する。
少女は銃を向けたギアに言った。
「……撃つの、慣れてるんだね」
この一言、普通なら挑発。でもギアは怒らなかった。
むしろ、なにか“記憶に触れたような顔”をしていた。
たぶんこのふたり、どこかでつながってた。
記憶では思い出せないけど、感情が覚えてる出会いだったのかもしれない。
少女が抱える“無言の痛み”が、ギアを変えていく
少女は、自分の記憶を取り戻そうともしない。
まるで、“思い出さない方が安全”だと知っているみたいに。
でもその無関心さが逆に、ギアの中の“知りたい衝動”を引き起こす。
なぜ彼女は笑わないのか。
なぜ、誰かを見ても動じないのか。
感情の起伏を拒否するような態度に、ギアはなぜか惹かれていく。
ふたりは“共犯者”じゃない。“記憶のかけら”だった
ギアと少女は、偶然の出会いじゃなかった。
作中後半で明かされる断片的な映像──
そこに映っていたのは、過去の“実験記録”。
ギアと少女は、同じ施設で“記憶同期”の被験者だった可能性が浮上する。
つまり、ふたりは“誰かのための記憶”としてつながっていた。
それを知ったとき、ギアは何も言わなかった。
でもその沈黙には、明らかに“共犯”のような温度があった。
たぶんあの瞬間、ギアは彼女を守りたくなったんじゃない。
ただ──「忘れられたままでいる彼女」を、見過ごせなかっただけなんだと思う。
第4章:Qu-0213チームとの駆け引きと裏切りの予兆
「裏切りって、信頼の裏側にあるって思ってた。でも、本当は“諦め”のほうが近いのかもしれない」
Qu-0213(通称キュー)──国家直属の記憶保管チーム。
彼らの任務は、記憶と情報の保持。つまり、“すべてを知っている側”。
でも、彼らの目が一番怖かった。
だって、何も言わないくせに、すべてを見抜いてるような眼差しだったから。
“戦う”んじゃない、“泳がせる”ような監視の怖さ
Qu-0213のやり方は、暴力でも強制でもない。
情報と感情を“じわじわ崩していく”タイプのコントロール。
ギアたちは戦ってるつもりだったけど、実際はもう掌の上だった。
とくにチームの副官・サイラの言葉が印象的だった。
「真実は、話すタイミングを操作するだけで、武器になる」
この一言で、物語の緊張感が一段階変わった。
“正しいことをしてるのに”の顔が、一番信用できなかった
Qu-0213のメンバーたちは、誰もが“正義の顔”をしていた。
でもその正義は、「決まったルールに従っているだけ」のものだった。
ルールの裏にある人間の温度なんて、もう見てなかった。
だからギアのように“逸れる者”が現れると、逆に興味を持ち始める。
その興味は好奇心じゃない。
「おまえもいずれ、ルール側に戻る」っていう確信だった。
……なんだろう。 信じてないくせに、信じさせる言葉って、あんなに残酷なんだね。
“誰が味方か”じゃなく、“誰なら傷つけてもいいか”の選別
Qu-0213との駆け引きは、情報戦なんかじゃなかった。
もっとずっとえげつない。
「誰なら犠牲にできるか」という、見えないランキングの話だった。
その中でギアは、間違いなく下位にいた。
つまり“切ってもいい存在”。
でもそこでギアは逆に、“誰を守るか”を決める。
駆け引きの中で、守る側に立つって、めちゃくちゃ難しい。
でも彼は、それを選んだ。
それはきっと、「自分だけは、誰かを見捨てたくなかった」っていう、
子どもの頃に失った“何か”を、まだどこかで探してたからだと思う。
第5章:廃墟での選択──「撃つ」か「信じる」かの分岐点
「引き金に指をかけたとき、人は“敵”を見てない。“諦めそうな自分”と戦ってるだけだ──」
終盤、ギアと少女がたどり着いたのは、かつて記憶実験が行われていた研究施設跡。
瓦礫に埋もれたモニター、焼けたファイル、誰かの声がまだ残ってるような無音。
そこは、物語の核心にして、「信じる/信じない」の最終選択の場所だった。
信じたいけど、信じたくない。それが一番リアルだった
少女が、ギアに銃を向けた。
その瞬間、時間が止まったようだった。
たぶん、彼女も引き金を引くつもりはなかった。
ただ、「信じるために、疑う」という最も切ない感情に襲われていただけ。
ギアは構えなかった。
でも、「撃たれてもいい」って顔じゃなかった。
それは、たぶん信じたんじゃなくて──「もう信じるしかなかった」ってことなんだと思う。
記憶より、感情のほうが正しかった
少女は記憶がない。
でも、ギアの目を見て「嘘じゃない」って感じた。
記録じゃない。証拠でもない。
ただの目線ひとつ、声の震えひとつが、「この人はわたしを裏切らない」って、感情が言っていた。
それって、記憶のない人間が最後に持てる“唯一の判断基準”なんじゃないかな。
あの瞬間の選択は、何も起きなかったけど、
“起きなかったこと”自体が、奇跡だったと思う。
「撃たなかった」ことが、二人をつなげた
この廃墟で、ふたりは何も話さなかった。
でも、その沈黙こそが、たぶん唯一の対話だった。
“疑う自由”を与えてくれたこと。
“それでも引き金を引かなかったこと”。
それが、この二人の間にしかない、“信じるという行為の輪郭”だったんだと思う。
このシーン、派手さはないけど、
感情の温度で読んだら、いちばん熱かった。
第6章:明かされる国家の真実と“記憶を消す装置”の秘密
「記憶は、残酷だけど、必要だった──だってそれが、“生きてきた証拠”だったから」
物語の終盤、ついに“国家が隠していた真実”が明かされる。
それは単なる政治的な陰謀じゃない。
もっと根深くて、もっと個人的で、「人の痛みそのものを切り捨てる装置」の話だった。
装置名 | 「オブリビオン」 |
---|---|
概要 | 対象者の直近72時間の記憶を感情ごと“上書き”できる兵器型記憶改変装置 |
使用条件 | 国家認定のプロファイル危険度「レッド」以上の対象に適用可 |
副作用 | 記憶の喪失だけでなく、“感情起伏”の不具合(無感動症・感情スキップ現象)を伴うことが多い |
「忘れさせる」は優しさか、それとも暴力か
国家は言った。
「記憶を消すことで、心を守ることができる」と。
でも、その言葉の裏側には、
「あなたが傷ついたことを、もう気にしなくていい」という一方的な決定があった。
それって優しさ?それとも、「お前の痛みなんて無意味だ」と言われてるのと同じじゃない?
ギアは、まさにそれを拒否した存在だった。
感情は、都合よくは削れない
「オブリビオン」は感情を含んだ記憶も消すことができる。
でも、消されたはずの人たちは、どこかで“同じ苦しみ”を繰り返していた。
たとえば、同じ夢を見る。
たとえば、同じ人を怖がる。
それは、“記憶”じゃなく、“感情”が残ってる証拠だった。
国家は記録を消せても、心の引っかかりまでは消せない。
そう、感情は「データ」じゃなくて「温度」だから。
ギアが壊したのは、装置じゃなく“諦め”だった
最終的に、ギアは「オブリビオン」の中枢装置のコアにアクセスしようとする。
破壊ではない。停止でもない。
「記憶を思い出す選択肢を、戻そうとした」だけだった。
それって、たぶん、
「痛みも自分の一部として抱えたまま、生きていく覚悟」を取り戻すってこと。
ギアのその行動は、戦いでも抵抗でもなかった。
“諦めない”ってことの、静かな証明だったと思う。
前編ラスト:ギアが最後に見たもの──後編『弾丸決戦編』への伏線
「ラストシーンで涙が出たのは、感動じゃなくて、“思い出しそうな自分”が怖かったから──」
前編『弾丸疾走編』のラスト。
ギアは、ひとりで“あの部屋”に立っていた。
部屋の壁には、過去の記憶を記録した数千のデータチップ。
その中のひとつ──「No.0213」と書かれたファイルに、彼の指がふれた瞬間。
画面がスローダウンする。
彼の目に、“少女の微笑み”がフラッシュのように映る。
“見た”のか、“思い出した”のか──
あの瞬間、ギアが目を見開いた表情。
でも、言葉はなかった。涙もなかった。
ただ、誰かの名前を呟こうとして、やめたようなその一呼吸が、すべてだった。
わたしにはあのラストが、
「思い出したくなかったことを、思い出してしまった人の顔」に見えた。
伏線の回収じゃない、“感情の置き土産”
このラストは、よくある伏線回収系の終わり方じゃない。
むしろ逆。
「思い出してしまったことが、これからどう心を動かしていくのか」という、
“問い”だけを残して終わった。
そして、その問いはたぶん、観ていたわたしたちにも突きつけられている。
「あなたには、“思い出したくないまま残してる感情”はないか」って。
後編『弾丸決戦編』に続く、感情の導火線
ギアの目が最後に向けられた先──そこには、静かに立つ少女の背中。
セリフは一切ない。音楽も止まる。
でも、その“音のない余白”が、何よりも雄弁だった。
たぶんあの瞬間、ギアは決めたんだと思う。
「誰かの記憶に残ることを、怖がるのはもうやめよう」って。
その覚悟が、後編へと引き継がれていく。
そして観客であるわたしたちも、きっと後編でまた、
“自分がまだ向き合っていなかった気持ち”に出会うんだと思う。
章 | 出来事 | 心の動き/感情の伏線 |
---|---|---|
第1章 | 少年ギアが初めて“誰かを撃った夜”を描写 | 「あの時、どうして引き金を引いたのか?」という自問が始まる |
第2章 | ミッションX-22が発動、国家の裏側と接触 | 仲間を“守る”か“命令を守る”か、ギアの葛藤が浮き彫りに |
第3章 | 記憶を失った少女と出会い、共犯関係が生まれる | 少女との関係が“撃てない理由”に変わっていく |
第4章 | Qu-0213との駆け引き、味方の裏切りが判明 | 「誰を信じていいかわからない」不信と選択の連鎖 |
第5章 | 廃墟で少女に銃を向けられる──“信じる”か“疑う”か | 「引き金を引かなかった」ことで芽生えた信頼 |
第6章 | 国家による“記憶消去”の計画が明かされる | 「人の感情は消せない」というテーマが浮上 |
ラスト | ギアが「No.0213」の記録に触れ、記憶が揺れ動く | “思い出したくない感情”が再起動のスイッチに |
まとめ:前編に込められた“再起動の痛み”と静かな決意
「人が再起動するときって、決して“新しくなる”んじゃない。
“古い自分の痛みを持ったまま、もう一度立つ”ってことなんだ──」
映画『バレットバレット 弾丸疾走編』は、たぶん“始まりの物語”じゃなかった。
それよりも、“しくじったままの感情たちが、それでも進む”という、
「続けることの選択」の話だったように思う。
銃声も、逃走も、記憶の断片も、全部“終わりの演出”に見えるけれど、
その中に何度も、小さな「再起動の瞬間」があった。
- 誰かを撃たなかった瞬間
- 疑っても、信じようとした瞬間
- 忘れてた感情が、ふいに戻ってきた瞬間
それって全部、「このままじゃいられない」っていう、
心の小さな叫びだったんじゃないかな。
ギアの物語は、まだ終わらない。
だけど、彼が“思い出してしまった顔”を見た私たちは、
きっともう後戻りできない。
だって、感情って、一度触れたら最後。
無視できなくなるくらい、自分の中で騒ぎ出すから。
後編『弾丸決戦編』──そこに何が待っているかはまだわからない。
でも私は信じてる。
この作品が描いてるのは、“かっこいい戦い”じゃなくて、
「自分のしくじりを肯定する」っていう、地味だけど一番やさしい戦いなんだって。
そういう物語に、今、どうしても救われたかった。
- 『バレットバレット 弾丸疾走編』の全ストーリーを感情視点で解説
- “記憶を消す装置”という国家の陰謀と感情抹消の倫理的葛藤
- ギア・ノア・バレル・Qu-0213らの感情と選択の重なり
- 「撃つか、信じるか」の廃墟での選択が物語を分岐させた理由
- 少女との出会いがギアに与えた“再起動”という感情の変化
- 前編ラストの無言と記憶の余白が、後編へ託された感情の火種
- しくじりを抱えたまま立ち上がる者たちの“やさしい戦い”の物語
【アニメ『BULLET/BULLET』予告編】
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