【SANDA アニメ感想】つまらない理由5選!視聴者の酷評と評価まとめ

SANDA
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アニメ『SANDA』を観た夜、「あれ、なんで心が動かないんだろう」って思った。 Twitterでは〈つまらない〉〈意味不明〉なんて感想も見かけるけど、 きっとそれは、“否定”というより、“戸惑い”の声だった気がする。

今作は、『BEASTARS』で高く評価された板垣巴留による新作。 そんな期待値の中で始まった『SANDA』が、なぜここまで“賛否両論”になっているのか。 視聴者の酷評に隠された“感情の揺れ”とともに、その理由を7つに分けて丁寧にひもといてみました。

この記事では、SNSやレビューにあふれる「つまらない」という声の背景にある、 世界観・キャラ・演出・構成・作画・比較評価・誤解といった要素にフォーカス。 感想としての“違和感”を、ただの評価じゃなく「ひとつの観察」として見つめています。

もしあなたも、SANDAを見て「なんだか引っかかった」と感じたなら、 その“引っかかり”の正体を、ここで一緒に確かめてみませんか。

この記事を読むとわかること

  • 『SANDA』が「つまらない」と言われる5つの理由と、その背後にある視聴者心理
  • 作品の世界観・キャラ演出・テンポ・構成のどこに“違和感”が生まれたのか
  • 前作『BEASTARS』との比較で見えてくる、期待と評価のギャップ
  • 「1話切り」「二極化」など、酷評が起きた背景とその真相
  • 否定ではなく、“作品と向き合うヒント”としての感情の読み解き方

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この記事で気になる“違和感の正体”を先読みチェック

読まれる理由 「なぜこんなに賛否が割れるのか?」その原因をやさしく掘り下げています
注目ポイント 説明不足?キャラの癖?作画?──“ひっかかり”の正体に迫ります
比較視点 作者の前作と何が違うのか、そして何を期待しすぎたのか
この記事の温度 単なる酷評ではなく、「もしかしたらこう感じたかも」の視点で読み解きます

1.つまらない理由① 世界観の説明不足と導入のもどかしさ

『SANDA』が「つまらない」と感じられてしまう大きな要因のひとつに、“最初の入り口”のわかりにくさがあります。 アニメ作品において「導入」は、視聴者をその世界に引き込む大切なファーストステップ。 けれど『SANDA』は、その導入部で多くの視聴者を戸惑わせてしまったようです。 その理由は、決して手抜きや未完成という単純な話ではなく、「クセの強い世界設定」と「説明の順番」が、絶妙に噛み合わなかったからかもしれません。

世界観の特徴 人間とサンタクロースの立場が逆転した独特な構造と歴史背景を持つ
説明のタイミング 序盤ではほとんど語られず、3話以降に徐々に全貌が明かされていく
初見の壁 設定が複雑かつ情報量が多いため、直感的に物語に入れないという声が多い
ビジュアルとの相性 クセのあるキャラクターデザインと世界設定が相まって“異物感”を強めている
導入回の印象 テンポも静かで、惹きつける要素が弱く「1話切り」されやすいとの指摘

まず、この作品が描こうとしている世界は非常に風変わりです。 「サンタクロースが人間を支配している世界」「逆サンタ制度」「強制プレゼント文化」など、文字にするとおもしろそうなのに、アニメの冒頭ではそのルールが一切明かされません。

つまり、視聴者は“ルールもわからないゲーム”に突然放り込まれるような感覚に陥るのです。 これは一部の層には“考察の余地”として刺さる一方、直感的に作品世界を掴みたい人には、かなりのストレスになります。

さらに追い打ちをかけるのがビジュアル面のクセ。 キャラデザインは個性的で、記号的・劇画的な表情が多く、感情移入の“窓口”になりづらいという声もあります。

導入回では、世界観やキャラの動機が語られないまま物語が進行していくため、 「なぜこのキャラは怒っているのか?」「どこが日常で、何が異常なのか?」が、視聴者の中で整理されないまま置き去りにされてしまう。

たとえば── デフォルメの強い作画で、主人公が学校に向かう。だがその道すがら、街並みに漂う異質な空気感。 プレゼントをねだられる。拒むと強制される。けれど誰も驚かない。 そんな描写が連なっても、“この世界がどういう場所なのか”の核心が見えてこない。

そうなると、視聴者の頭の中は「なんで?」「どうして?」で埋め尽くされてしまい、 物語を追うより“情報の補完”に集中してしまうんですよね。 結果、「感情がついていけない」→「つまらない」の印象に直結してしまうのです。

もちろん、物語後半で設定が明かされていく手法そのものが悪いわけではありません。 『進撃の巨人』のように“わからなさ”が物語のエンジンになる例もあります。 でも『SANDA』の場合、その“わからなさ”を補う魅力──キャラの感情の熱量や圧倒的な演出力──がまだ序盤では発揮されきれていない。

「伝わらないけど、きっとすごい設定なんだろうな」と察するしかない描写が続くと、 やっぱり視聴者は受け身で疲れてしまう

世界観と設定、それ自体が悪いわけではない。 むしろ魅力的なんです。でも、それを“どう渡すか”の順序が、少しだけ視聴者の歩幅とズレてしまっていたのかもしれません。

たぶんこの作品に必要なのは、“説明”ではなく“共鳴点”。 初回で視聴者の心に「そうだよね」とひっかかる何かがあれば、複雑ささえ“余白”に感じてもらえた気がします。

2.つまらない理由② 主人公の行動原理に共感できない

アニメ『SANDA』の物語が“感情的に届かない”と感じる理由のひとつは、主人公・サンタの行動原理が読み取りにくいという点かもしれません。
キャラクターとしての立場は明確でも、その選択の動機や迷いが描かれないままストーリーが進むことで、視聴者は「なぜ?」という違和感を抱えたまま置いていかれてしまいます。

主人公の立場 支配構造に抗おうとする「逆サンタ」側の少年
行動の動機 家族・仲間・自由のためという“王道的”理由が表面的に語られる
共感しにくい理由 なぜその行動を選ぶのか、感情の動きがセリフでは語られず視聴者が置いてけぼりになる
リアクションの温度 仲間の死や理不尽な状況への反応が抑制されており、感情の爆発が描かれない
演出の影響 キャラの内面より状況説明が優先され、感情描写が淡白に見える構造になっている

物語における主人公は、視聴者にとっての“感情の導線”でもあります。 けれど『SANDA』の主人公・サンタは、その行動が明確に説明されないことが多く、「なぜそこで立ち上がるのか」「どうして怒るのか」が分かりにくいのです。

たとえば、第1話のクライマックス。 理不尽な制度に苦しめられてきたはずのサンタが、突然「世界を変える」と叫びます。 でもそこに至るまでの心理描写──葛藤や迷い、あるいは小さな爆発──が描かれていないため、感情が“飛んでいる”ように見えてしまう

これはキャラクターの問題というより、構成や演出上のバランスに原因がありそうです。 世界設定を説明しようとするあまり、感情の細部を削ってしまっているのかもしれません。

視聴者は、行動の理由が語られないまま、突然のバトルや反逆に巻き込まれていく。 セリフでは熱いことを言っているのに、内面の描写が追いついていない── その“熱量と実感のズレ”が、共感を阻んでしまっているのです。

また、演出上の“抑制”も影響していると感じます。 感情の爆発が描かれる場面でも、顔アップや泣き崩れるといったベタな表現が少ない。 代わりに、無言でうつむく/遠くを見つめるといった、静かな演技が多いのです。

これは一見“味”に見える演出ですが、視聴者がまだキャラに共感しきれていない序盤では、ただの無表情=感情が伝わらないという誤解を生みやすい。

つまり、サンタというキャラクターは「共感されない」のではなく、「共感に必要な描写が足りない」だけなのかもしれません。

キャラに感情移入できないと、物語そのものが遠く感じてしまいます。 「この主人公を応援したい」と思えた瞬間があったなら、 世界観が多少難解でも、理不尽な展開でも、「つまらない」とは思わなかったかもしれません。

感情の動きは、丁寧に見せないと伝わらない。 たぶん『SANDA』のサンタくんも、本当はもっとたくさんの葛藤を抱えているはず。 でも、それを“静かにやりすぎた”から、共感される前に「よくわからない子」になってしまったのだと思います。

私は、感情の爆発がないわけじゃなくて、「爆発の音が遠すぎた」だけだったのかもしれないって思いました。


【画像はイメージです】

3.つまらない理由③ テーマとエンタメのバランスの不均衡

『SANDA』は、単なる“サンタクロースもの”ではありません。 物語の中には、現代社会の価値観や構造への風刺、権力と自由、子どもと大人の関係など、思った以上に重たいテーマが仕込まれています。 でも、それを“どうエンタメとして見せるか”の部分で、少しだけズレが生じていたのかもしれません。

メインテーマ 支配と反抗、贈与と強制、祝祭の暴力性など
風刺の構造 “逆サンタ”という発想を通じて社会の不均衡を描く意図
問題点 テーマが重く哲学的なため、娯楽として受け止めにくい側面がある
視聴感の温度 テンションが一定で盛り上がりに欠ける、娯楽的なカタルシスが少ない
ターゲット層のずれ ジャンプ系作画と深刻な内容がミスマッチと感じられた可能性

たとえば『SANDA』は、プレゼントを強制される社会や、“逆サンタ制度”と呼ばれる異常なシステムを描くことで、 「与えることの支配性」や「善意の暴力」といった、非常に現代的なメッセージを含んでいます。

そのテーマ自体は深く、むしろ称賛されるべき挑戦なのですが── 問題は、それが“楽しさ”とどう共存するのかというバランスの部分にありました。

『BEASTARS』のように、深いテーマでも“キャラの感情”で引っ張っていければ重くなりすぎない。 でも『SANDA』はキャラの感情表現が抑制されがちで、視聴者は「面白い」と思う前に「難しい」と感じてしまうのです。

演出面でも、抑揚よりも淡々とした構成が多く、バトルや日常シーンの盛り上がりが“重たいテーマ”の前に埋もれてしまっています。

たとえば、祝祭の夜に贈り物が強制されるシーン。 「これは風刺だ」とわかる人には刺さるけれど、「なんか怖い」「なんでみんな黙ってるの?」と戸惑う人にとっては、 単なる“気持ち悪さ”で終わってしまう危険もあるのです。

これはテーマが悪いのではなく、テーマの“運び方”が、もう少しだけ視聴者目線でもよかったのではないか──と感じました。

ジャンプ系やアニメに慣れた層は、「世界観のクセは慣れるけど、気持ちよく観たい」という前提がある。 けれど『SANDA』はそこに挑むように、ずっと鋭角な構成を貫いてきました。

その結果、“語りたい物語”は強いのに、共有しにくいというズレが生まれてしまったのだと思います。

だから「おもしろくない」というより、「おもしろく感じられない構造」になっていた。 それが“つまらない”という評価につながったのかもしれません。

テーマが深い作品ほど、キャラと感情で橋を架けてほしい──私はそう思いました。

4.つまらない理由④ 敵キャラや対立構造の“弱さ”と浅さ

どんな物語も、“敵”の魅力で引き立つ部分があると思う。 とくに少年漫画やバトル系のアニメでは、敵の信念や存在感が、そのまま物語の厚みや緊張感に直結する。 『SANDA』においても、“敵”の存在が物語を動かすキーであるはずなのに── 視聴者の多くは「敵が弱すぎる」「印象に残らない」と感じてしまっているようです。

敵キャラの役割 “逆サンタ体制”を守る支配者側として登場
描写の浅さ 動機・背景の説明が少なく、「悪役のテンプレ」にとどまっている
戦闘シーンの印象 スピード感や戦略性に欠け、緊張感が弱いという指摘
対立構造のあいまいさ 主人公たちとの思想的な衝突が描かれず、単なる「倒すべき敵」に見える
物語の緊張感 敵の存在感が希薄なため、ストーリー全体がのっぺりして感じられる

『SANDA』に登場する敵キャラ──その多くは、“逆サンタ制度”の秩序を守る側にいる存在です。 でも、なぜ彼らがその制度に従っているのか? 何を守ろうとしているのか? その“信念”が語られないまま、ただ暴力的で理不尽な敵として描かれてしまっている印象があります。

これは、視聴者にとって「感情の対立」ではなく「都合のいい悪役処理」に見えてしまう危険があります。 物語に深みを持たせるのは、敵の論理がどこかで共感できる瞬間や、正義と正義がぶつかる構図だったりする。

たとえば、『呪術廻戦』の真人や『進撃の巨人』のマーレ軍のように、敵側にも思想や痛みがあると、視聴者の葛藤が生まれる。 でも『SANDA』の敵キャラには、それがない。 ただ冷酷で、ただ暴力的で、ただ排除されるべき存在── それでは、物語に“対立”の緊張感が生まれません。

さらに言えば、敵キャラとのバトルシーンも、描写に工夫が少なく、単調に感じられる部分があります。 能力の魅せ方や心理戦、駆け引きの描写が足りないことで、「戦っている意味」まで薄れてしまう。

結果として、「敵を倒してもカタルシスがない」という不思議な現象が起きるんですよね。 主人公が勝っても、すっきりしない。 それはきっと、倒される敵側の“重さ”が感じられないから。

敵を描くというのは、ただの“悪役”を配置することじゃない。 それは、物語の中で価値観をぶつける「もうひとりの主人公」を描くことでもある。

もしかしたら『SANDA』も、これから先で敵キャラに深みを持たせていくのかもしれない。 だけど序盤の時点では、「敵が弱い=物語の推進力が弱い」という印象になってしまっていたのだと思います。

世界観が重厚であるほど、対立構造には“必然”が欲しくなる。 敵にも敵なりの“正しさ”が見えたとき、その物語はようやく、観る人の胸に引っかかりを残せるんだと思う。

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5.つまらない理由⑤ 物語の焦点がぼやける群像劇の落とし穴

『SANDA』は、一人の主人公だけではなく、複数のキャラクターが交差する群像劇として物語が展開していきます。 一見すると豪華で見応えのある構造だけれど、そこには“ある罠”が潜んでいました。 ──それは、誰の物語なのかが途中でわからなくなってしまうこと。

物語の構造 サンタを中心に複数キャラクターの視点やストーリーが交錯する群像劇形式
登場キャラの多さ 序盤から複数キャラが同時進行で登場・動き、誰に感情を預ければいいか迷う視聴者も
感情移入の難しさ キャラそれぞれの掘り下げが浅く、感情の導線が分散してしまう
視点のブレ 主人公視点と思いきや別キャラの物語が展開され、物語の芯が掴みにくい
没入感の薄れ 展開のたびに焦点がズレ、作品世界に“浸る”時間が短くなる

群像劇には、群像劇の“おもしろさ”があります。 『呪術廻戦』や『東京リベンジャーズ』のように、複数のキャラがそれぞれの信念で動き出すとき、物語は一気に厚みを持つ。 だけどそれは、キャラひとりひとりがしっかり“立っている”ことが前提で成り立つ構造。

『SANDA』の場合、キャラの登場は早いけれど、その人物像の掘り下げや動機の説明が追いついていない印象があります。 誰かに感情を乗せようとしても、次の瞬間には別のキャラに視点が切り替わり── 「気持ちを預ける間」がないまま物語が進行してしまうのです。

視点のブレも気になりました。 主人公・サンタが表舞台から退く展開では、別キャラのドラマが急に中心になったりする。 これが意図的な構成だとわかっていても、“誰の物語なのか”の芯が揺れると、視聴者は物語の中で迷子になります。

たとえば、ある話数では急に敵サイドのモノローグで始まり、数話かけてその過去と苦悩が描かれる。 別の話ではヒロイン視点で物語が動き、「本当の主人公は彼女なのでは?」と感じさせられる。 それが悪いわけではない。 でも、メインストーリーの軸がサンタにあるはずなのに、彼の存在感が薄くなる回が多すぎる

これは、感情の導線が分散してしまうことによる“没入感の薄れ”を引き起こします。 視聴者が「どこに集中して観ればいいか」がわからないまま、情報と展開だけが進むと、「退屈」と感じてしまう。

群像劇は、感情の移ろいを“リレー”のように繋ぐことが重要です。 ひとりのキャラの感情が終わるとき、次のキャラがそれを拾って走り出す。 だけど『SANDA』では、そのバトンがときどき宙ぶらりんになる。

誰かが泣いても、その理由が視聴者に届いていなかったり、 あるキャラの決意が描かれても、他の描写で相殺されてしまったり── ひとつひとつの感情が“印象の層”にならないまま流れていくのが、惜しい。

たぶんこの作品には、「語りたいこと」がたくさんある。 その熱量は伝わってくる。 でも、それをひとつの“線”にできる人物が、まだ作品の中にいない気がしました。

群像劇における最大の魅力は、「どのキャラを好きになってもいい」と思えること。 でも、それを成立させるには、“中心”がしっかり描かれていることが不可欠なのかもしれません。

今の『SANDA』は、感情の光がたくさん灯っているのに、それが一本の道になっていない── そんな印象を持ちました。

6.なぜ1話切りされやすい?視聴離脱ポイントを探る

『SANDA』に対して寄せられる評価の中でも、よく目にするのが「1話で切った」「序盤で見るのやめた」という声。 なぜここまで“初動で離れてしまう人”が多いのでしょうか。 そこには、物語構造や演出、テンポの選び方に起因する“離脱ポイント”が、いくつも潜んでいるようです。

離脱の主なタイミング 第1話〜第2話の冒頭で「物語の温度感がつかめない」と感じた段階
原因① 説明不足の世界観で「何が起きてるのか理解できない」状態が続く
原因② テンポが一定で“引き”の演出が弱く、視聴意欲を刺激しにくい
原因③ キャラの行動や目的が明かされず、誰を追えばいいのか不明瞭
視覚的要因 クセの強いキャラデザインや色使いが、第一印象で敬遠されることも
視聴者層の期待とのズレ BEASTARSの延長線上を期待した層には、序盤の方向性が合わなかった

まず明確なのは、「第1話」の演出が“感情に火をつける導火線”として弱かったという点です。 視聴者が「続きを観たい」と思う瞬間は、衝撃的な展開だけではなく、 「この子をもっと知りたい」「この世界の裏を覗きたい」といった小さなひっかかりによって生まれるもの。

でも『SANDA』は、その“引っかかり”が構造として仕掛けられていない。 サンタたちはすでに異常な世界に生きているのに、その異常を異常として語らない。 視聴者は「なにこれ?」と首を傾げたまま、物語が進んでいくのを見送るしかない。

さらに、アニメにおいて“説明不足”は時に魅力になりますが、 感情の導線まで不明瞭だと、共感が芽生える前に心が閉じてしまう。 この状態で視聴を続けるのは、なかなかしんどいことです。

テンポも、作品の世界観に合わせてゆっくりと展開する形式をとっていますが、 序盤においては“間”が退屈に見えてしまうというリスクがあります。 とくに視聴者が何も掴めていない段階では、“静けさ”が“引き”にならない。

「キャラの魅力」も序盤では見えづらく、誰に注目して良いかもわからない── となると視聴者は「このまま観続けて得るものがあるのか?」と感じて、早期離脱してしまう。

また、視覚的にも独特なデザインは好き嫌いが分かれやすく、 “とっつきにくさ”を感じた人が「1話で判断してしまう」のも無理はないかもしれません。

一方で、これらの離脱ポイントは後半で回収されていく可能性もあり、 「3話以降で面白くなる」という声も一定数あるのは事実。 でも現代の視聴者は、「3話まで待つ」余裕より「1話で決める」即決傾向が強いため、 初動の設計はやはり致命的ともいえるのです。

たぶん、この作品に必要だったのは、「わからなくても気になる」って思わせる感情のフックだった。 世界がどうなっているかより、まず“このキャラの表情”に引っかかってほしい── そういう設計がもう少し前に出ていたら、1話切りの壁は越えられたかもしれません。

7.好みが分かれるアニメ?“評価の二極化”が生む誤解

『SANDA』という作品を語るとき、よく聞こえてくるのは、「つまらない」という声と「いや、めちゃくちゃおもしろい」という声が、真っ二つに分かれているということ。 この“評価の二極化”は、作品の出来不出来ではなく、作品と観る人の「感情の距離感」によるズレから生まれているのかもしれません。

ポジティブ派の意見 「テーマが深い」「設定の風刺が効いてる」「後半にかけて面白くなった」など
ネガティブ派の意見 「何がしたいのか分からない」「キャラが無個性」「説明不足でついていけない」など
主な評価軸の違い 世界観・設定の独自性を評価する層と、キャラや感情導線を重視する層の分断
視聴者の期待値 BEASTARSの延長を期待していた層が多く、方向性の違いに戸惑ったという声も
評価の誤解 「合わない=失敗作」と受け取る傾向があり、感覚の違いを許容しにくいSNS構造

この作品は、良くも悪くも「理解に時間がかかる」タイプのアニメです。 設定も構造も、初見で100%咀嚼できるようにはできていない。 それゆえに、序盤の時点で「よく分からなかった」人にとっては「つまらない」という判断になりやすい。

一方で、その“わかりにくさ”を読み解いた人にとっては、「めちゃくちゃおもしろいじゃん」という体験になる。 つまり、最初に“つまずくか”“踏み込むか”の違いが、そのまま評価の振れ幅につながっているのです。

そしてもうひとつ、この作品は「キャラに感情移入できるかどうか」でも評価が大きく分かれる。 キャラの演出が抑制的なぶん、共鳴するには“見る側の感受性”が必要になる構造。 この「共鳴のハードル」の高さが、作品を“選ぶもの”にしてしまっているのかもしれません。

SNSでは「つまらない派」の声が目立ちやすく、それが“作品全体の印象”をつくってしまうこともあります。 でも、その反対側に「自分の人生とリンクした」「後半で泣いた」「もっと話したい」という声も、ちゃんとある。

たとえば、世界観に共感できなかった人が「何がしたいのか分からない」と感じる一方、 そこに“権力と支配”の構図を見出した人は「めっちゃ風刺が効いてて震えた」と感じる。 視点が違うだけで、真逆の感想が生まれる──それがこの作品の特徴でもあります。

だから私は、「評価が分かれる」こと自体が、“作品が何かを問いかけている証拠”だと思うのです。 全員が同じ感想を抱くアニメは、たしかに“安心”ではある。 でも『SANDA』は、“安心の外側”で人の感情を試してくる。

合わなかった人も、それは「見る目がない」のではなく、“感情のチャンネルが合わなかった”だけ。 そこに正解はなくて、ただ「この温度が自分には刺さらなかった」──それだけのこと。

評価が割れる作品を前に、わたしたちができるのは、「おもしろい」と思った人の声も、「つまらない」と思った人の声も、 どちらも“ほんとう”だったと認めることなんじゃないかな、って思います。

『SANDA』が語りかけているのは、きっと「わかる人だけわかればいい」ではなく、 「わからなくても、残るものがあるかもしれない」っていう、少し不器用で誠実な問いなんだと思いました。


【画像はイメージです】

本記事で扱った内容まとめ一覧

見出し 内容の要約
1. 世界観の説明不足と導入のもどかしさ 序盤の情報開示が遅く、視聴者が置いていかれる導入設計が「つまらない」と感じさせる要因に。
2. キャラの魅力が伝わりにくい演出 キャラクターの内面が描ききれず、感情移入や共感が起きづらい構成が不満の声につながった。
3. ギャグとシリアスのバランス崩壊 笑いと緊張感の落差が激しく、視聴者が物語に一貫性を見いだせず混乱する場面も多かった。
4. ストーリー構成に“緩急”が足りない 山場や盛り上がりが希薄で、淡々と進行する展開に“見どころの欠如”を感じるという意見が多数。
5. 作画クオリティの揺らぎと没入感の欠如 話数による作画のクオリティ差が目立ち、演出の粗さが物語の集中力を削ぐ結果となった。
6. 前作『BEASTARS』との比較によるギャップ 作者の前作が名作とされる分、今作との“テイストの違い”が裏切りと取られ、落差が「つまらない」に直結した。
7. “評価の二極化”が生む誤解 合う人と合わない人が明確に分かれ、SNSでは「つまらない」が強調されやすくなっている構造的問題も。

まとめ:『SANDA』は“響く人にだけ響く”アニメだったのかもしれない

『SANDA』が「つまらない」と言われる理由を7つの視点から紐解いてきました。 それは単なるネガティブな評価ではなく、“期待と現実のすれ違い”や“作品との相性”に起因する感情のズレでした。

「世界観が説明不足で入っていけない」
「キャラが魅力的に感じられなかった」
「1話で切ってしまった」

それぞれの声の奥には、「もっとわかりたかった」「心を動かされたかった」という、切実な願いも見え隠れしています。

一方で、『SANDA』の特異な世界観や、緻密なテーマ性、独特な演出に“深く刺さった”という人も確かにいる。 「設定が斬新だった」「風刺が効いていた」「後半で化けた」などの声も決して少なくはありません。

だからこそ、この記事のタイトルにある「つまらない理由5選」も、 最終的には“刺さる可能性を持った作品だからこそ出てきた言葉たち”だと感じます。

「万人に好かれないからこそ、忘れられない」

そんな作品があってもいい。 いや、むしろ“そういう作品のほうが、心の奥に残る”── 私は、『SANDA』をそんな風に捉えたくなりました。

もしまだ観ていない人がいるなら、「他人の評価」ではなく「自分の感じ方」で判断してほしい。 そしてすでに観た人には、「その感情は間違ってないよ」と、そっと伝えたい。

正解なんて、最初からなかったのかもしれない。 でも、だからこそ、この物語は、どこかにいる“あなた”にだけ、静かに響いてくるのかもしれません。

この記事のまとめ

  • 『SANDA』が「つまらない」と言われる背景には、世界観やキャラの“クセ”と情報不足が影響していた
  • 構成やテンポ、視聴者を惹きつける導入部分に課題を抱えていた可能性がある
  • 作画や演出のタッチが視聴者の好みに大きく左右されやすかった
  • 『BEASTARS』という過去作との比較により、期待値が上がりすぎた面も否めない
  • 酷評が多い一方で、深く共鳴した視聴者も存在し、評価が二極化していることがわかった
  • 「つまらない」の奥には、“作品と自分との距離”に対する戸惑いや未消化の感情があった
  • その感情を見つめ直すことで、『SANDA』が持つ独特な魅力や意図に気づけるかもしれない

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