Netflix『今際の国のアリス』シーズン3がなぜ微妙?つまらないと感じた理由7選を徹底解説

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Netflixで配信されたドラマ『今際の国のアリス』シーズン3。 待望の続編として話題になった一方で、「つまらない」「微妙だった」と感じる声も少なくありません。 ではなぜ、そんな評価につながってしまったのでしょうか? 本記事では、『今際の国のアリス』シーズン3がつまらないと感じられた具体的な理由を7つに分けて徹底的に掘り下げていきます。 さらに、物語の解釈を深める“補足視点”も含め、視聴後のモヤモヤを整理したい方にも読んでいただきたい内容になっています。

「なんでこんな展開に?」「前のシーズンと違う…」そんな違和感があった方も、この記事を通じて答えにたどり着けるかもしれません。 原作とのズレ、キャラクターの描写、ゲームのルールの変化── 視聴中に感じた“温度の変化”を、ひとつずつ言葉にしていきます。

「今際の国のアリス」シーズン3|予告編|Netflix

まずは全体の“ひっかかり”をざっくり整理──気になったところ、いくつあった?

なんだか退屈だった理由 “あの緊張感”、どこに行ってしまったんだろう
キャラに感情移入できない あれ? アリス、こんな人だったっけ?
気持ちが置いてけぼりに 派手なのに、心は動かなかった理由とは
終わり方にモヤモヤ 「夢だったのかも」──そう言われて納得できる?

「つまらない」と言ってしまうには、まだもったいない気がする。 でも、なんだか“心の引っかかり”が多かった。 そんな違和感の正体を、これから一緒に言葉にしていきます。

つまらない理由①:序盤から見えた変化──“げぇむ”の緊張感が失われた理由

変化点 ゲームの導入から“理不尽さ”や“死の恐怖”の描写が薄くなる
期待とのギャップ 序盤から“生と死の緊張”を求めた視聴者の期待が裏切られる展開
原因要素 説明的なシーン優先/キャラ関係描写への時間配分増加
視聴者の反応 「緊張感がない」「ただのドラマに戻った感じ」という感想
構造的問題 ゲームのルールが提示されすぎて“謎を感じる余白”が減った

Netflix版『今際の国のアリス』シーズン3の冒頭を観たとき、まず感じたのは「いつもの“息詰まる感じ”がない」という違和感だった。命を懸けた“げぇむ”が始まったはずなのに、画面から漂うのはどこか穏やかで、静かすぎる空気だった。

第1話冒頭では、キャラクターたちが再び“今際の国”に引き戻されるような描写がなされる。だが、その導入におけるスリルや不条理感が、明らかに前シーズンに比べて弱まっていた。初見の衝撃や恐怖を思い出そうとしても、「あれ、こんなにテンポ遅かったっけ」と思ってしまった。

たとえば、シーズン1で初めてゲームが始まった瞬間は、突然の理不尽と死の予感に視聴者も“参加者”のように緊張した。ルールもわからない、出口もない、疑心暗鬼──あの不安定な空気が、ストーリーを一気に加速させていた。しかしシーズン3では、最初から説明と“整った構図”が目立つ。

序盤から、キャラ同士の会話が多くなり、過去の回想も交えてゆったりとしたテンポで進む。これは決して悪ではないが、“げぇむ”の核心に触れる前に、視聴者が“現実”に引き戻されてしまうような感覚がある。つまり、恐怖の中に巻き込まれる前に、心の準備ができてしまうのだ。

その結果、「いつ誰が死ぬか分からない」というシリーズ特有の緊迫感が消えてしまう。ゲームはただの“舞台装置”になり、ドラマの背景として扱われる印象を受けた。

さらに、“げぇむ”のルールや背景が過度に説明されてしまっている点も気になった。謎が謎のまま進むことで引き込まれていた展開が、今回は“丁寧すぎる解説”によって台無しになっているシーンが多い。これでは“考察する楽しみ”すら減ってしまう。

キャラたちの不安や恐怖の感情も、やや表現がソフトになっている。アリス(演:山﨑賢人)も、シーズン1では混乱と葛藤を露わにしていたが、今回はどこか“冷静すぎる”。その落ち着きは成長と言えるのかもしれないが、同時に“緊張の感情共有”を奪ってしまっていた。

このように、シーズン3の序盤では「死と隣り合わせの“げぇむ”に放り込まれた恐怖感」が弱まり、「ストーリーを整えるための進行」が優先されてしまっていたように思う。

観る者が、ただ“傍観者”になってしまう──。その距離感こそが、シーズン3を「つまらない」と感じる第一歩だったのかもしれない。

つまらない理由②:主人公・アリスの迷走──成長か停滞か、描写のズレ

描写のズレ 葛藤や迷いの描き方が浅く、変化が唐突に感じられる
成長と停滞の境界 成長を見せたい意図があるが説得力に欠ける場面多数
キャラ一貫性の崩れ シーズン2以前のアリス像と乖離する言動・判断
視聴者の反応 「あれ、アリスそんなキャラだっけ?」という声
演出意図の仮説 複雑な心理変化を見せたいあまり描写が飛んだ可能性

シーズン3におけるアリス(有栖良平/山﨑賢人)は、前のシーズンで積み上げてきた“葛藤する主人公”という軸を、時に見失っているように映る。特に中盤以降、その行動や決断に「本当にこの人物の内面から出てるの?」という疑問を抱く場面が目立つ。

たとえば、あるゲームにおいて仲間の意見と真反対の選択を突如採用するシーンがある。物語上、ドラマを強める演出としてはアリスの苦悩や“これまでの価値観との衝突”を見せたいのだろう。しかし、視聴者から見るとその背景が不十分で、唐突感が強い。「覚悟を決めた」ようには見えるが、そこに至るまでの心の揺らぎが描かれていない。

また、シーズン2までのアリスは“行き当たりばったりながらも判断力を持ち、人を守ろうとする姿勢”が強調されていた。しかしシーズン3では、同じ状況で矛盾した選択肢をとったり、他キャラと対立してもフォローする描写が弱かったりする。そのため、「この場面でこうするのは彼の性格じゃない」と感じてしまう視聴者も多い。

さらに、変化を描きたい意図が漂う。「過去との和解」「葛藤の昇華」「犠牲と救済」などのテーマは用意されているが、それを繋ぐ心情の伏線が薄い。徐々に変わっていく過程よりも、「次はこうなるだろう」前提を先に出してしまう構成が目立つ。

もうひとつ気になるのは、アリスとウサギ(宇佐木柚葉/土屋太鳳)の関係性。恋愛要素や信頼関係を強調したい意図はわかるが、それがアリスの思考や判断に及ぼす影響が曖昧で、「その感情で行動を変えるの?」と違和感を覚える場面もある。

視聴者のレビューにも、こうした“アリス像のズレ”に関する指摘がちらほら見られる。Filmarksレビューでは、「シーズン1・2で好きだったキャラクターが、シーズン3では意味不明な判断をするようになった」という声が挙がっている。

私はこのズレが、“つまらなさ”の大きな要因だと思う。主人公に寄り添えなければ、物語に深く入れなくなる。どれだけ演出やビジュアルが優れていても、主人公の迷走が目立つと作品全体の信頼感が揺らぐ。

成長と停滞、その境目を曖昧にしてしまったアリスの描写は、期待の裏返しとして「本来見たかったアリス像」が遠ざかってしまった違和感を残すのだ。


【画像はイメージです】

つまらない理由③:ウサギの存在感の変化と恋愛要素の扱い

存在感の変化 ウサギの活躍シーンが減り、物語への影響力が薄くなる
恋愛要素の重視 恋愛描写が目立つ一方で緊張の“げぇむ”要素と乖離
感情表現の曖昧さ ウサギの心情変化が唐突に感じられる場面あり
視聴者の反応 「ウサギが影になった」「恋愛に振られすぎて物語が弱くなった」という声
演出意図の仮説 二人の関係性でドラマ性を持たせたが、バランスを失った可能性

ウサギ(宇佐木柚葉/土屋太鳳)は、『今際の国のアリス』シリーズにおいて、アリスの相棒であり精神的な支えであり、また対立や救済の鍵を握るキャラクターであった。しかしシーズン3では、ウサギの「存在感」が相対的に薄まったように感じられる。

まず目につくのが、ウサギが主導的に動く場面が減った点だ。過去シーズンでは、ウサギが前線に出て判断を下したり、リスクを取って行動することもあったが、今回はアリス中心の構成が強く、ウサギが“伴走者”に徹する印象が強い。

さらに、二人の恋愛関係が物語上の重しになろうとしている描写も多い。ウサギの思い、アリスへの揺れ、そして再び“げぇむ”世界で引き裂かれる恐怖──これらはドラマ性を持たせる要素ではあるが、“げぇむの理不尽さ”や“命をかけた対峙”と並置すると、どこか釣り合いが崩れやすくなる。

ある場面では、ウサギの感情変化が急激すぎて、「なぜ急にこう思った?」と感じる瞬間もある。例えば、アリスに対する不信や距離を置く態度を急に見せたり、以前の信頼関係を無視するような言動をするなど、つなぎの描写が弱いと感じられる。

視聴者からは、「ウサギが薄くなった」「恋愛に偏って、緊張感がそがれた」という声も散見される。Filmarksでは、シーズン3に対する評価の中に「ウサギのキャラクターが前より目立たなくなった」という趣旨のコメントが投稿されている。また、シリーズが原作とは異なる続編展開を選んだことを危惧する声も上がっており、キャラクターのバランス変化がその原因の一つと見られている。

私は、このウサギの存在感の変化と恋愛要素の重視こそが、シーズン3を「つまらない」と感じさせる要因の一つだと思う。ウサギは物語の当然の伴侶であるはずなのに、その“重み”を感じさせられないと、物語全体の感情の支えが揺らいでしまうから。

物語の中で、恋愛とサバイバルは両立できる。しかしそのバランスを欠いたとき、どちらも中途半端になってしまう。ウサギというキャラクターが「アリスを支えるだけの存在」になってしまっている瞬間が、見ているこちらとしては、とても惜しい。

つまらない理由④:“ビーチ”以降のキャラたちの活かし方に違和感

登場キャラ数の増加 ビーチ編以降、多くの新キャラが参入してくる
役割の薄さ 新キャラのバックボーンが浅く、動機が弱い場面あり
群像としての均衡崩壊 主要キャラ・脇役間の扱いに偏りが出る
視聴者の反応 「あのキャラ、何しに出てきたかわからない」などの声
構成上の問題 キャラを捌き切れず、群像劇としての焦点がぼやける

“ビーチ”編を経由してから、物語には次々と新しい登場人物たちが現れるようになった。期待されたのは、彼らがそれぞれの背景や動機を持ち、物語に厚みを与えること。しかし実際には、彼らが“装飾”にとどまるような扱いを受けてしまっている印象を強く受けた。

例えば、ある登場人物は不穏な過去を仄めかされながら登場するが、物語が進むにつれてその過去が回収されず、ただの駒として消えていく場面が目立つ。視聴者としては「なんでこの人物が突然あそこに?」という違和感を抱きやすい。

主要キャラとの絡み方も雑になることがある。本来は人間関係の葛藤とか信頼の綻びを見せるために導入されるはずの脇役たちだが、彼らの行動が浅く見えると、ストーリーがフラットになる。主要キャラが抱える葛藤に寄り添うどころか、淡白なシーンが多くなる。

群像劇的な構成は魅力的になりうるが、同時に“誰に感情移入すればいいか”という視聴者側の判断を難しくする。キャラが多すぎると、焦点が分散し、結局“物語の核”が見えにくくなる。シーズン3ではこの“群像の曖昧さ”が際立っていた。

視聴者レビューにも、「登場人物が多すぎて覚えきれない」「この人、最初しか出てこなかったな」といった声が見られる。特定キャラクターの動機や心理変化が弱いため、ストーリー上の因果関係もぼやけてしまうという批判だ。

私自身も、このあたりで何度か読者としての集中が切れそうになった。「あ、この人の話って結局どうなった?」と小さな疑問が積もる。物語を支えるはずの“群像”が雑に扱われると、見る側の内側にも“抜け穴”ができてしまう。

結論として、“ビーチ”を起点に増えたキャラ群を十分に活かせなかった構成は、シーズン3の物語における“弱さの見える部分”を露出させてしまったと思う。これもまた、「つまらない理由」のひとつとして無視できない。

「今際の国のアリス」シーズン3|ティーザー予告編|Netflix

つまらない理由⑤:新キャラ・キューマとミラの描き方に足りなかった“重さ”

キャラ起用の狙い シーズンを超えた物語を広げる鍵として導入
描写の課題 背景説明が断片的、動機・信念に説得力不足
物語への関与度 主要ストーリーとの接続が浅く、役割が中途半端に感じられる
視聴者の反応 「このキャラ、存在感だけ大きくて中身が薄い」「なぜここで登場?」という指摘
制作意図の仮説 テーマ性を強めたかったが、掘り下げが追いつかなかった可能性

シーズン3では、**キューマ**(クラブのキング役)や **ミラ** といった新旧キャラクターが、物語上の転換点として導入されている。しかし私には、彼らが“重み”を持って語られているようには感じられなかった。

まず、キューマの扱いだ。シリーズ前作・前シーズンで既に存在感のあるキャラクターだったが、シーズン3ではその影響力を期待させつつも、動機や信念の掘り下げが中途半端に終わっているように思える。彼の行動にはドラマ性を与えようという意図は見えるが、「なぜそこまでこだわるか」が薄いため、視聴者としての共感や理解が追いつかない場面が多い。

一方、ミラについても登場のインパクトは強いものの、過去背景や抱える葛藤について描写が断片的だ。同情を誘うようなエピソードを断片的に挿入するものの、完全には補完されず、結果的に“キャラクターの影”となってしまっている印象が残る。

例えば、ある場面でキューマがアリスに向かって“警告めいた言葉”を放つシーンがある。しかし、それがどれほど苦悶の末なのか、あるいは信念からなのかが曖昧なまま先端へ進んでしまう。すると、「この言葉は本心か?単なる演出か?」という疑問が浮かんでしまう。

また、新キャラ・ミラをはじめとしたキャラクター同士のつながりや対立構図が、主要ストーリーとしっかり結びついていない。結果として、「そこに出ているだけ」になりがちで、観る者に“存在感”より“雑さ”を印象づけてしまう。

視聴者レビューでも、「キューマはいかにも重要そうに出てきたけど中身が薄い」「ミラの動機がぼんやりしていてただのアクセントにしか思えない」という声が挙がっている。特に、シーズン2までに築かれたキャラクター重視の物語を愛していた層からは、そういう指摘が目立つ。

個人的には、キャラクターを増やすこと自体は悪くないと思う。むしろ“新しい血”を送り込み、物語を拡張する試みは歓迎だ。ただ、それには“説得力ある存在感”と“主要筋との密接な絡み”が必要だ。残念ながら、キューマやミラの描き方にはそれが足りなかった。

これが、シーズン3を「つまらない」と感じる理由の一つ──期待を裏切るほどの魅力が、彼らには与えられていなかった。

つまらない理由⑥:世界観のルールが曖昧になった“げぇむ”構造

曖昧になった点 ゲームのルール、勝利条件、罰則の提示にブレがある
矛盾・例外の多発 ゲーム中に例外処理や“裏ルール”的展開が頻出
ルール説明のタイミング 後付け説明が多く、先に発生する展開とのズレが目立つ
視聴者の反応 「このゲームは何が勝ちなの?」「どういう条件かよく分からない」などの混乱
構成意図の仮説 ミステリー要素を重視するあまり、論理性を犠牲にした可能性

シーズン3を見進める中で強く感じたのは、「このゲームって実際どういう構造で動いているの?」という疑問が、場面を追うごとに増えていくことだった。シリーズの魅力は、理不尽さと緻密なルールの狭間で生じる駆け引きにあるが、今作ではその“ルールの硬度”が揺らいでしまっている。

たとえば、ある「げぇむ」では明確な勝利条件や失敗条件が提示されていないまま進んでいき、「そこをクリアすれば次に進めるかも」「これさえ解けば生き残れるかも」という“仮定のルール”で展開してしまう。それ自体が悪いわけではないが、視聴者の理解とのズレが生じやすい。

また、途中で“裏ルール”や“例外的措置”が突然挿入されることが目立つ。たとえば、「この状況では通常なら○○というルールだが今回はこう扱われる」というような説明が後付けされ、それが展開に大きく影響する。最初からその可能性を示唆しておくならともかく、突然登場すると「ん?」となる。

説明のタイミングにも難がある。状況が進んでから「あ、実はこういうルールでした」という解説が挟まれると、視聴者は“先に見たシーンとの齟齬”を感じてしまう。物語を追ううえでの自然な流れを遮るように感じられる瞬間もあった。

さらに、シリーズが元来持っていた“謎を解きながら進む感覚”も薄れているように思う。以前は、ほんの小さなヒントや演出のズレだけで「このルールってこうかも?」と視聴者が仮説を立てながら進めた。しかし今回は、あらかじめ説明されてしまうか、意図的に曖昧なまま展開されるかのどちらかになっており、考察を楽しむ余地が減っている。

こうした曖昧性は、視聴者との信頼関係を揺らす。物語が「なんでもあり」になってしまうと、どこまで予期できて、どこからが作者の“ご都合”なのか区別がつきにくくなる。本来スリルと説得力を両立させるべき構造が、途中で“曖昧さ”という逃げ道に補強されてしまった印象を受ける。

視聴者の感想にも、「このゲームってどうやって勝つの?」「途中でルール変わってない?」といった戸惑いが散見される。Yahoo!知恵袋でも、「ゲーム内容が前より複雑だが、説明不足で理解しづらい」という意見が見られた。

私自身、この曖昧さに何度か引っかかった瞬間がある。「この選択で勝てるとは思えないが、ルールが変われば逆転できる…?」という考えを持ちながら見てしまうことがあって、それ自体が集中をそぐ要因になった。

総じて言えることは、“げぇむ”という構造が強固であるからこそ、理不尽さや予測不能な展開が際立つ。しかしシーズン3ではその構造が揺らいでしまい、“何でもできるゲーム空間”になってしまったところが、視聴者に「つまらない」と感じさせる要因になったのではないかと思う。


【画像はイメージです】

つまらない理由⑦:最終決戦の演出がもたらした“置いてけぼり感”

期待とのギャップ 最終決戦における“盛り上げ”と“提示”のバランスが崩れた
展開の大胆さと不整合 演出の派手さに比して説明や感情の連続性が失われがち
感情的共鳴の希薄化 キャラの覚悟や犠牲が説得力を持たず、視聴者が追えない
視聴者の反応 「置いてけぼりになった」「なんでこうなった?」という戸惑いの声
制作意図の仮説 盛り上げたい意図が先行し、ストーリー整合を犠牲にした可能性

物語を締めくくるはずの最終決戦──だが、シーズン3では、その演出が逆に物語との距離を感じさせてしまう瞬間が少なくなかった。

たとえば、クライマックスに向けて劇的な仕掛けや予想外の展開が投入されるが、それらがキャラクターの思考や背景とリンクしないまま進むシーンが目立つ。派手な演出だけが先走り、「なぜこの選択?」「どうしてこの人物がこの場に?」という疑問を観る側に残してしまう。

また、キャラクターの“覚悟”や“犠牲”といったテーマを描くためには、丁寧な感情の積み重ねと共鳴が必要。しかしシーズン3では、その積み重ねが不足している場面がある。たとえば、あるキャラが命をかける覚悟を示すべき場面で、前段階の心の揺れがほとんど描かれず、ただ決断だけを提示されたように感じる。

また、最終決戦の構図において、複数の人物・勢力が交錯する描写が多くなるが、それぞれの思惑や動機の整理が追いつかない場面がある。視点の切り替えや情報の挟み込みが途切れ途切れになってしまい、「誰が誰と戦ってるんだっけ?」と一瞬迷ってしまう瞬間がある。

視聴者レビューには、「盛り上がるはずの場面なのにテンションが置いてけぼり」「途中から何が起こってるのかよく分からない」といった声も見られる。Filmarksレビューでも、「最後の方は追い付けなかった」「盛り上げ重視で中身がついてこなかった」という批判が目立つ。

私自身も、最終決戦シーンで何度か画面の切り替えで一歩引いてしまった。「この展開はすごい」と感じたいのに、「待って…今あの人はなんのために動いた?」と考えてしまう。その“間”が心の距離になる。

結局、最終決戦は「物語の終着地点」であると同時に、「感情の帰着点」でもあるはずだ。だがシーズン3では、その帰着が不完全に感じられる。盛り上げたい意図と、物語との整合性がぶつかって、視聴者を“置いてけぼり”にしてしまうラスト展開になってしまった──そう感じる人は少なくないだろう。

補足①:夢オチと受け取られかねないエンディングの問題点

ラストの構図 現実に戻ったかのようなシーンと隕石/意識世界描写の交錯
混同されやすい“夢オチ”解釈 視聴者には“ただの夢だったのか?”という疑問を残す描写
説明不足な補足設定 臨死体験や意識空間、ゲーム空間という設定が曖昧に扱われる
視聴者の反応 「全部夢?」「努力も感情も消えた?」といった戸惑いの声
構成意図の仮説 視聴後の考察を誘う意図だが、説明を放棄したように見える可能性

最終話ラストシーンでは、アリスたちが“現実”のような場所で目覚める描写があり、「今際の国での出来事は夢だったのか?」と捉えられても不思議でない空気が漂う。隕石落下、意識の揺らぎ、昏睡状態といったフックが交錯することで、ラストを“夢オチ”と解釈されやすくしてしまった。

実際、『今際の国のアリス』シーズン3の最終回や結末については、「まさかの夢オチ?」という意見が多く見られる。レビューや考察サイトでは「最後のシーンで目覚めさせられたような描写だけで結末を締めたから、これまでの葛藤が無意味に感じられた」という声もある。

制作側は「臨死体験」「意識世界」「昏睡中の闘い」というテーマを掛け合わせていたようだが、物語内でそれを丁寧に紐解く場面が少なかった。その結果、視聴者の中には「ただの夢じゃん」「努力や犠牲が全部無駄だったように思える」と受け取る人が出てきた。

さらに、作品中で“ゲームでの怪我や死の影響が現実世界にも反映される”という描写もあるため、完全な“夢オチ”とも言い切れない。しかしその境界線が曖昧で、観る者によっては“夢だった”という読み替えの余地を残してしまっている。

こうした解釈の揺れは、物語としての明快さを失わせる。視聴者は「どこまでが現実で、どこからが意識世界なのか」を自分で整理せざるを得なくなる。しかし、壮大な構想を提示したうえで、説明を迫らず曖昧に終わらせるのは、見ている側にとっては頼りなさを感じさせてしまう。

私は、この“夢オチと受け取られかねない構造” が、視聴者に「つまらない」という印象を残す最後のひと押しになったと思う。葛藤、犠牲、成長──それらすべてが“夢の中の物語”だったかもしれないと思われた瞬間、感情の帰属先を見失ってしまう。

補足②:『今際の国のアリス』が失った“原作との距離感”

原作への期待 漫画版の哲学性・謎解き要素・読後の余韻
改変の度合い シーズン3は原作完結後のオリジナル展開が主
読者・視聴者の違和感 原作ファンから「これじゃない」「筋が変わった」という反発
海外ファンの視点 “原作正史ではない”という批判が散見される
演出意図の仮説 新しい物語を拡張しようとしたが、原作との均衡を崩した可能性

シーズン3は、原作漫画『今際の国のアリス』がすでに完結していたことを踏まえて制作されたと見られる。そのため、本作は「原作の続き」「if展開」を含むオリジナル要素が強くなっている。しかしこの選択が、原作ファンにとって“距離感”を感じさせる結果にもなっているように思う。

原作版は、デスゲームの恐怖と人間の本質、存在論的問いかけを重ねながら進む作品だった。読者は謎と哲学、キャラクターの選択の先にある“問い”を持ち帰ることが多かった。しかしドラマ版シーズン3では、その“問い”よりもドラマ性・演出性・映像効果が重視され、原作が持っていた余白や問いかけの深さが薄まった印象がある。

また、原作に登場した要素やキャラクターをドラマで回収する場面はあるものの、それが“改変前提”で行われていることが多い。そのため原作と同じ流れを予期していたファンとしては、「ここは原作と違うのか」という裏切り感や違和感を抱きやすい。

海外の反応でも、シーズン3に関して「これは原作漫画の正史ではない」という批判が散見されている。多くの視聴者は、原作の枠組みを踏襲しつつも“変化”を加える形を期待していたが、今回の改変量は期待を超えてしまったようだ。

この“原作との距離感”の変化は、視聴者の心理に微妙な緊張を生む。原作ファンは作品との“なじみ”を求めつつも、続編としての意外性を期待していた。しかしそのバランスが崩れてしまうと、「変わりすぎて別物になった」「好きだった部分が消えた」と受け取られてしまう。

私は、シーズン3が放つオリジナル性は悪ではないと思っている。ただ、それを成立させるには、原作がもっていた“問いを残す余白”“キャラクターの核心を揺るがせぬ一貫性”という軸を尊重する必要がある。それがないままオリジナル展開を突き進むと、観る者はどこかで「これは原作じゃない」と心のスイッチを切ってしまうのだ。

この距離感のズレが、シーズン3に「つまらなさ」の影を落とす、もうひとつの理由だと感じる。


【画像はイメージです】

全体のまとめ一覧表:シーズン3で“つまらなさ”が生まれた要因を一望

つまらない理由① “げぇむ”の理不尽さや緊張感が初期ほど感じられなかった
つまらない理由② アリスの成長や感情変化が雑に見えて共感が薄れた
つまらない理由③ ウサギの存在感が弱まり、恋愛パートが浮いて見えた
つまらない理由④ 新旧キャラのバランスが崩れ、人物描写が散漫に
つまらない理由⑤ 魅力的な新キャラの活躍が浅く、印象に残りづらい
つまらない理由⑥ ゲームのルールや世界観が後付けで破綻していた
つまらない理由⑦ 最終戦の演出と感情の温度差が大きく、置いてけぼり感が強かった
補足① エンディングが“夢オチ”のように見え、余韻が薄れた
補足② 原作からの逸脱が大きく、“これは違う”と感じたファンも

本記事まとめ:シーズン3が“微妙”と感じられる7+2の理由──期待と現実の狭間で揺れる物語

① 緊張感の喪失 序盤から“げぇむ”の理不尽さ・恐怖感が希薄化
② アリス描写のズレ 成長描写が浅く、言動の一貫性が崩れる場面も
③ ウサギの扱いの変化 存在感が薄くなり、恋愛要素の傾斜が強まる
④ キャラ増加の弊害 ビーチ以降の多数キャラが活かされず焦点ぼやけ
⑤ 新キャラの重み不足 キューマ・ミラなどが役割だけ大きく中身が薄い
⑥ ルールの曖昧化 ゲーム構造・勝利条件などにブレと後付け説明多数
⑦ 最終決戦の置いてけぼり感 演出は派手だが感情と整合性が追い付かず浮遊する
補足① 夢オチの解釈揺れ 結末が“夢か現実か”の曖昧な構成に視聴者混乱
補足② 原作との距離 原作へのリスペクトと改変との差異が厚みにズレを生む

ここまで7つの“つまらない理由”と、理解を補う2つの視点を見てきた。振り返ると、シーズン3で失われたのは「見る者を作品世界に巻き込む力」だったように思う。

序盤から張られたはずの“命懸けの危機”は、説明優先・回想重視の構成に消されてしまい、緊張感の核は薄れた。主人公・アリスの迷走、ウサギの扱いの変化、新キャラたちの重みの不足──いずれも、物語を引きつけるはずの“心の芯”を揺らす原因になった。

そして、ゲーム世界のルールが揺らぎ、最終決戦では演出と感情の整合性が追いつけず、視聴者を置き去りにしてしまった。補足視点として、ラストの“夢オチ”解釈や原作との距離感も、視聴後に残る違和感の種となる。

もちろん、シーズン3にも試みや魅力はある。映像の迫力、キャラクター間のドラマ、そして“新たな問い”を提示する挑戦。それでも、視聴者の期待と物語の構成がすれ違う瞬間が、少なからず積み重なったように感じる。

最後にひと言だけ、視聴者に寄り添って言いたい――

「物語の旅は、完璧でなくてもいい。だけど“感情のつながり”を置き去りにされると、たぶん、離れてしまう」

このまとめを通して、シーズン3に感じた“温度の揺れ”を、あなた自身の観賞体験と重ねてくれたなら嬉しい。読んでくださって、ありがとう。

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この記事を読むとわかること

  • Netflix『今際の国のアリス』シーズン3が“つまらない”と感じられた7つの理由
  • 主人公アリスとウサギの描写にどんな違和感があったのか
  • “げぇむ”の緊張感やルールが失われた原因とその演出意図
  • キャラ構成・物語構造・最終回の展開に残ったモヤモヤの正体
  • 原作との違いと、シーズン3が視聴者を置いてけぼりにした理由

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