劇場版『鬼滅の刃』無限城編に、LiSAさんとAimerさんという2人の歌姫が重なった“W主題歌”の秘密は、猗窩座(あかざ)の心の揺らぎにこそあった──。この物語が深く、どこか切ない理由を、歌と心情の交差点から見つめてみようと思う。
- 映画『鬼滅の刃』無限城編で「猗窩座再来」が第一章に選ばれた意味
- Aimer『太陽が昇らない世界』とLiSA『残酷な夜に輝け』が描く猗窩座の内面
- 猗窩座と炭治郎の“対比”が映し出す「痛み」と「赦し」のテーマ
- W主題歌が成立する構造的・感情的理由とその演出意図
- 主題歌の歌詞とメロディから読み解く“選ばなかった感情”の余韻
1. 無限城編 第一章「猗窩座再来」って何が始まるの?
項目 | 内容 |
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章タイトル | 『無限城編 第一章 猗窩座再来』 |
物語の入口 | 「戦い」ではなく「終われなかった心」から始まる異例の第一章 |
感情の焦点 | 「また現れること」が持つ切なさと、“懺悔にも似た再登場”の意味 |
空間演出の意味 | 無限城の構造は“記憶と感情”の迷路──猗窩座の過去とリンクする舞台装置 |
視聴者への問いかけ | 「あの戦い、本当に終わってた?」──記憶に残る“再来”という伏線の回収 |
最初に出てきたのが、まさかの“猗窩座”だった──それだけで、息を呑んだ人、きっと多かったんじゃないかな。 「また、お前か」じゃなくて、「あの猗窩座が、また?」って。どこか、引っかかる“再来”という言葉に、私はまず立ち止まってしまった。
無限城編の第一章は、“柱総力戦”という激突の物語のはず。にもかかわらず、始まりを告げたのは、過去に敗れたはずの猗窩座。 ──なぜ彼がまた、ここに現れるのか。なぜ第一章の名が「猗窩座再来」なのか。その違和感と、期待と、哀しみが同時に押し寄せてくるタイトルだった。
猗窩座は、ただの敵キャラじゃない。 炭治郎にとっても、煉獄杏寿郎にとっても、そして私たちにとっても、「勝てなかった痛み」を刻んだ存在。 だけど今回の再登場は、“倒すべき強敵”というよりも、「まだ終われなかった誰か」として描かれている気がした。
たとえば、あの無限城の歪んだ階層。 まるで感情の断片を積み重ねたように、無限に続く黒の構造体。 “逃げ場のない記憶”みたいだった。登場人物だけじゃなく、観る側も取り込まれていくようなあの空間に、猗窩座が静かに立っていた──その姿が、私はどうしても“懺悔”に見えてしまったんだ。
「再来」という言葉は、ただのリベンジじゃない。 むしろ、未練、願い、もしも──そんな言葉たちと手を繋いでるようだった。 猗窩座の“過去”がちらつくこの第一章は、「また来た」じゃなく、「戻ってきた」というニュアンスを孕んでいる。 あの戦いは、まだ終わってなかったのかもしれない。 本人にとっても、炭治郎たちにとっても。
しかもこの章、予告で流れた映像からして、回想と現在が重なる構成になってる。 つまり猗窩座という鬼を描くうえで、「今の強さ」より「かつての哀しさ」にフォーカスしてるのがわかる。 鬼の中の“人間”に、もう一度光を当てようとする演出だと思った。
再来、という言葉に込められたのは、きっと“二度目の別れ”じゃない。 「ちゃんと終わらせに来た」という覚悟。 でもそれは、戦いの決着じゃなくて、“心の残り火”の始末のようにも思えたんだ。
「猗窩座が、また現れた」──それは、悲鳴や歓声じゃなく、 どこかで誰かが囁いた「…まだ、あの人の物語が終わってなかったんだね」というつぶやきだったのかもしれない。
無限城編は、“決着の章”だと言われている。 でも本当は、“感情の後始末”の物語なのかもしれない。 そのはじまりを「猗窩座再来」に託したスタッフの意図、ちゃんと届いた気がする。
そして──その「心の声」に、主題歌という名の音楽がそっと寄り添ってくる話は、次の章で。
2. 猗窩座の「再来」に込められた心の記憶──過去との邂逅
要点 | 詳細 |
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登場キャラクター | 猗窩座、恋雪、慶蔵(きょうぞう)、炭治郎 |
キーワード | 過去回想、父の自死、恋雪の笑顔、贖罪、消えない記憶 |
描かれる主題 | 強さの裏にある“守りたかった人”と、消せなかった自責 |
「過去」とは、時系列じゃなくて、“痛みの保存場所”なんじゃないかって思う。 そして猗窩座にとって、その保存場所は、恋雪が最後に見せた“あの表情”で固められてる。 ──許したのか、ただ悲しかっただけなのか。あの視線に、彼は何を読み取ったんだろう。
無限城編で描かれる猗窩座の“再来”は、物理的な再登場じゃなく、記憶という名の迷宮に落ちていく旅でもある。 記憶に飲まれる鬼──それが今作の彼の立ち位置だと思う。
そして、登場するのがあの回想。 病弱な恋雪、支えていた師範の慶蔵、そして“素性を偽りながらも生きたかった”狛治(はくじ)という青年。 彼が鬼になる前に背負っていたものは、「力」なんかじゃなかった。 もっとふつうの、「守りたい」「幸せになってほしい」っていう願いだった。
けれど願いは、時に呪いにもなる。 自分が手を伸ばした分だけ、喪失の深さも広がってしまうから。
炭治郎との対峙シーン。あれは単なるバトルじゃない。 回想を挟みながら進むあの構成には、“現在進行形の後悔”がにじんでいた。 ──つまり、猗窩座の中では今も、あの「選択の瞬間」が終わっていない。
「あのとき、別の答えを出していたら」 そうやって、何度も何度も、心の中で自分を殴り続けてるような姿だった。 「強くなりたい」と願ったはずが、「弱さを認められなかった」だけだったのかもしれない。
過去と現在が交差するたび、猗窩座の表情にかすかに浮かぶ迷い。 それが人間味だなんて、彼自身が一番認めたくなかったはずなのに──。 その“人間だったころの記憶”が、いま最も色濃く描かれている。 それが、この「猗窩座再来」の本質なんだと思った。
しかも印象的だったのが、“父の自死”が再び描かれたこと。 あれは、“人を守ることができなかった最初の罪”として、狛治の心に深く根を張ってる。 きっと猗窩座は、あの日からずっと“取り返そうとしてきた”のかもしれない。 ──でも、人は、時間を“取り戻す”ことなんてできないから。
過去のフラッシュバックに飲み込まれながら、戦い続ける猗窩座。 その姿は、「強さ」じゃなく「逃げられなかった記憶」そのものだった。
「なぜ、再来なのか?」という問いの答えは、彼の中の“未処理のままの心”にある。 鬼である猗窩座にとって、人間のころの自分は、もう存在しないはずだった。 でも、たしかにそこにいた狛治という男の「記憶」が、今も彼の戦いを揺らしている。
この章を観ていて思った。 “記憶に負ける”って、もしかしたら、“自分を赦しはじめてる”ってことかもしれない。 猗窩座が「再来」したのは、また戦いたかったからじゃない。 ようやく「心が帰ってこられる場所」を探してたからなんじゃないかと、私は思った。
3. Aimer『太陽が昇らない世界』が映す、猗窩座の闇と夕闇の心象
要点 | 詳細 |
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主題歌アーティスト | Aimer(エメ) |
主題歌タイトル | 『太陽が昇らない世界』 |
描く世界観 | 喪失と後悔、記憶の深層で揺れる魂の輪郭 |
Aimerの声って、どこか“夜明けの寸前”みたいなんだよね。 夜のままじゃない。かといって、朝の光にも届かない。 その“まだ誰も起きていない時間”の温度が、猗窩座にぴったりだった。
『太陽が昇らない世界』というタイトルを見たとき、私はハッとした。 夜を引き裂いて朝が来るんじゃなくて、朝が来ない前提なんだ、って。 これってつまり、「救済されることがない場所」の物語なんだと、胸にズシンときた。
でもね、じゃあそこに希望がないかって言われたら、違うと思う。 Aimerの歌声には、たしかに“凍った涙の奥に眠る温度”がある。 その温度だけが、猗窩座という孤独な鬼をまだ「誰か」として思い出させてくれるんだ。
この楽曲の特徴は、一貫して“静かに沈んでいく”構成。 イントロからサビに向かって盛り上がるんじゃなくて、どんどん奥へ、内側へと降りていくような旋律。 まるで「自分の中の深い場所」に潜っていく猗窩座の心そのものみたいだった。
歌詞に出てくるのは、“光”じゃなくて“影の記憶”。 誰かに許されるでも、救われるでもない。 ただ、「忘れられない過去」と、どうしようもなく共にいることの重さと静けさ。
猗窩座の記憶の中には、きっともう“夜明け”なんてない。 恋雪の最期の表情、慶蔵の無言の背中、父の自死。 彼は、光に向かうのではなく、その“欠片”だけを手にして、暗闇の中でひとり歩いてきたんだと思う。
でもAimerの声は、その欠片が「光だったころの記憶」を、そっと撫でるような優しさがある。 決して肯定しない。でも、否定もしない。 そういう音楽じゃないと、きっと猗窩座には届かなかったと思う。
鬼のくせに、“こんなにも人間らしい苦悩”を抱えてる猗窩座。 それを引き出すには、強いメッセージや激しいリズムじゃなくて、 あえて「語りかけるような歌」が必要だった。 Aimerの声は、彼の記憶のなかで一番静かに響いた“恋雪の声”に似ていたのかもしれない。
“昇らない太陽”という表現は、一見すると絶望に思えるかもしれない。 でもね、私はこうも思ったの。 昇らないからこそ、そこに“終わらない想い”が残ってるんだって。 猗窩座がなぜ戦いを繰り返してきたか。 それは、心の奥にまだ、「朝を待ってる誰か」がいたからかもしれない。
Aimerの主題歌は、そういう“誰にも言えなかった心の置き場”を、 そっと手のひらで包み込むように、描いていた。 切なさを超えたところで、「許されたい」ではなく「思い出していたい」という感情に触れてくる。
無限城編で、なぜAimerの歌が猗窩座に託されたのか。 きっとそれは、この歌が「彼自身の語れなかったモノローグ」になってるからだと思った。 ──もう泣けない人のために、泣いてくれる歌。 『太陽が昇らない世界』は、そんな音楽だった。
4. LiSA『残酷な夜に輝け』で見える、闘志と刹那の煌めき
要点 | 詳細 |
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主題歌アーティスト | LiSA(リサ) |
主題歌タイトル | 『残酷な夜に輝け』 |
描く世界観 | 戦いの中にある“選べなかった光”のかけらたち |
LiSAの声が響いた瞬間、「あ、この夜は燃える」と思った。 Aimerの“静けさの夜”が猗窩座の“記憶の奥”を描くとすれば、 LiSAの“光る夜”は、彼が今もなお“闘いの中で消費し続けている感情”に直結していた。
タイトルは『残酷な夜に輝け』。
「えぐられるような現実の中で、それでも光を放てるのか?」
──そんな問いかけに見えた。
猗窩座は、望んで鬼になったわけじゃない。 でも、望まれないまま“戦い”を選んでしまった。 その選択の重さを、あえて激しく、あえて煌々と照らし出すのがLiSAの歌なんだと思った。
サビに向かって上昇する旋律と、爆発的なボーカル。 だけどその裏には、「感情の瞬発力」だけじゃない、“諦めきれなさ”が潜んでる。 そう、LiSAはいつだって“戦う人の泣き顔”を歌ってきたアーティストだ。
『紅蓮華』『炎』…炭治郎とともに歩んだ彼女の声が、 今度は“敵だったはずの猗窩座”に寄り添ってるという構造に、私は鳥肌が立った。 この主題歌には、「敵もまた、感情の中で燃えている」という視点が宿っている。
「残酷な夜」は、戦場のことだけじゃない。 後悔したくないのに、選択肢が消えていく瞬間のこと。 「それでも輝け」と叫ぶのは、もう戻れないと知っていながら、まだ誰かを想ってる証拠。
猗窩座は鬼になって、力を得た。 でもその力のなかには、「あの時、守れなかった弱さ」がずっと残ってる。 LiSAの歌は、その矛盾と痛みを“エネルギー”に変えていくような爆発力がある。
特に印象的だったのは、歌詞の中にある
「願いは罪じゃない。願いは、光だ。」
という一節(意訳)。 これってつまり、猗窩座が人間だったころに願ってたこと、 「恋雪を守りたかった」「幸せにしたかった」 その全部が“間違いじゃなかった”って、言ってくれてるような気がしたんだ。
刹那に燃えるようなギターリフと、夜を破るようなドラムの音。 それが、猗窩座という“消せない記憶の塊”に、強制的に“生きろ”って喝を入れてる感じ。 痛い。でも、この曲を聴くと「それでも前に進め」って気持ちになる。
つまりこの主題歌は、“鬼滅の刃”という作品の中で、 初めて「敵の心情」に対して“喝采”を送った歌なんじゃないかと思った。
Aimerが“夜の静けさ”なら、LiSAは“夜の焔”。 同じ「夜」でも、その描き方がまるで対照的で、でもどちらも“猗窩座の中にある温度”だった。 2曲あって、はじめて、「このキャラのすべて」が見えた気がする。
『残酷な夜に輝け』──それは、 「もう戻れない場所を照らす」ための光だったのかもしれない。 猗窩座が自分を赦すことはなかったとしても、 その闘志の中に、“あのときの願い”がまだ燃えていたことだけは、 この歌が、ちゃんと照らしてくれた。
【『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』本予告】
5. 歌姫2人が“W主題歌”に選ばれた構造的理由とは?
要点 | 詳細 |
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主題歌 | Aimer『太陽が昇らない世界』/LiSA『残酷な夜に輝け』 |
W主題歌の意図 | 猗窩座というキャラクターの“二重構造”を可視化する演出 |
楽曲配置の意味 | 内面と闘争、過去と現在、静と動──すべての対比構造を音楽で補完 |
2人の歌姫。2つの楽曲。そして、1人の鬼──猗窩座。 このトライアングルが成り立つ理由って、きっと偶然なんかじゃなかったと思う。
まず前提として、無限城編の猗窩座は、“ただの敵”じゃない。 「再来」と題されたこの章で描かれているのは、戦いの物語というより、“感情の決着”。 だからこそ、必要だった。2つの音楽の視点が。
Aimerは“記憶の奥の声”として、 LiSAは“今この瞬間の叫び”として。 この「静と動」の配置こそが、W主題歌に託された最大の構造的意味だった。
アニメや映画でW主題歌って、実はけっこうレアなんだよね。 たいていはオープニングとエンディングとか、作品を跨いで…って感じだけど、 今回は同一章、同一キャラクターに対してのW採用。 もうそれだけで、この章の“特殊性”がわかる。
なぜ猗窩座だけ、そんなに“重層的”に描かれているのか。 それは、彼が「鬼滅の刃」という作品の中で、最も人間だった鬼だからだと思う。 そして、人間という存在は──たった1曲じゃ語り切れないんだ。
たとえば、心が壊れそうなほど静かな日もあれば、 叫ばずにはいられない夜もある。 猗窩座の中には、その両方があった。 だからAimerも必要だったし、LiSAも必要だった。
演出的にも、これほど綿密に音楽が“役割分担”されているのはすごい。 ・回想や内面描写にはAimer ・現在の戦闘や対峙シーンにはLiSA という風に、猗窩座の“内と外”を音楽で演出分けしているのがわかる。
それはまるで、彼の心の中にある2つの声──
「過去に囚われた弱さ」と「今も闘い続ける強さ」
──をそれぞれが代弁してくれてるみたいだった。
そして、“W”にした理由はもう一つある気がしていて。 それは「どちらか片方だけでは、彼の物語を完結させられない」という意志。 これは演出サイドの“最後の敬意”にも思えた。
猗窩座を嫌いになれない人が多いのは、 きっと彼の中に、「しくじったまま終わってしまった誰か」が重なるからなんだと思う。 だからその内側にAimer、表側にLiSA。 ──この組み合わせ、偶然じゃなくて、“痛みと願い”のWキャストだったんだ。
“鬼を人として描く”って簡単に言うけど、それって物語の構造自体を変えなきゃできない。 このW主題歌は、まさにその象徴。
「悪」じゃなくて、「傷ついてしまった誰か」だと伝える音楽だった。
この演出に気づいたとき、私はちょっと泣きそうになった。 ただ格好良いだけじゃなく、感情の行き場までちゃんと作ってくれてるなんて── この章、すごい。 そして音楽の力って、やっぱりすごい。
6. 主題歌の歌詞とメロディが語る“猗窩座の揺れる選択”
要点 | 詳細 |
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キーワード | 歌詞分析、内面描写、選択の迷い、後悔と赦し |
主題歌の役割 | 猗窩座の「語られなかった心の声」を代弁する |
描かれる感情 | “闘いたい”と“もう闘いたくない”の狭間 |
主題歌って、ただのBGMじゃない。 物語の「裏ページ」に、こっそり書かれた心の声なんだと思う。 特にこの無限城編──猗窩座の章においては、それが顕著だった。
Aimerの『太陽が昇らない世界』。 そこにあるのは、“やり直せなかった”ことへの静かな後悔。
「このまま終わってもいい、でも、できれば──」
そんな曖昧で、でも確かに存在する希望の火種。
一方で、LiSAの『残酷な夜に輝け』には、決意の刹那がある。 「もうどうにもならないって分かってるけど、だからこそ叫びたい」 その矛盾が、刃になって飛んでくるような歌詞だった。
この2曲が描いてるのは、実は“選べなかった選択肢”。 猗窩座があのとき、鬼にならなければ。 猗窩座がもう一度だけ、誰かの声を信じていたら── そういう「ありえたかもしれない未来」の亡霊が、歌詞に溶けている。
歌詞は詩だ。 そして詩は、セリフでは言えなかった感情の伏線みたいなもの。 炭治郎や煉獄と向き合う猗窩座の表情、そのひとつひとつに、 この歌の一節が乗ってくる感覚があった。
たとえばAimerの曲には、「手放したくなかったもの」への静かな執着がある。 LiSAの歌には、「それでも抗いたい叫び」がある。 そしてそのどちらも、猗窩座の選べなかった道の名残だった。
つまりこのW主題歌、彼の中で繰り返されていた“選択の葛藤”そのものなんだ。 どっちを選んでも、たぶん正解はなかった。 でも、選ばなければ、前に進めなかった。
猗窩座が抱えていたのは、「戦う」か「赦される」かじゃなくて、
「もう一度、誰かの手を取ることができるか」
──その問いだったように思う。
主題歌の中で繰り返される「光」「夜」「選ぶ」というモチーフは、 まるで猗窩座の心をそのまま写した鏡みたいだった。 そしてその鏡の中に、観る私たち自身の“迷い”や“未練”も、ふっと映ってしまうんだよね。
だから苦しい。 だから泣きたくなる。 でもそれは、きっと“物語が感情に届いた”証拠でもあると思った。
猗窩座というキャラクターは、戦闘力でも美学でもなく、
「選べなかった想い」を、ずっと背負ってるところが美しい
──そのことを、2曲の主題歌がちゃんと伝えてくれていた。
この章の最後に流れるどちらかのメロディが、 彼の物語の余白を埋めていくようで、私はずっと耳を澄ませていた。
7. 無限城という舞台が映す、猗窩座と炭治郎の“対比”
要点 | 詳細 |
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登場キャラクター | 猗窩座、炭治郎 |
舞台設定 | 無限城──記憶と闇の交錯空間。階層が象徴する内面の迷宮 |
テーマ | 「強さ」とは何か。「失うこと」と「守ること」の違い |
無限城って、ただの“敵の本拠地”じゃない。 むしろ、感情の奥底をえぐる、心理の劇場だと思う。 そこに立つだけで、心がむき出しになるような、そんな空間。
そしてここで交差するのが、猗窩座と炭治郎。 一見すると対照的だけど、実は根っこの部分では“同じ問い”を抱えていた2人だと思う。
「なぜ大切な人は死んだのか」 「自分に、何ができたのか」 「この痛みを抱えて、生きる意味はあるのか」 ──どちらも、そこから逃げずに向き合ってきた。
炭治郎は、家族を亡くした。でも“思い出”を守った。 猗窩座は、愛する人を亡くした。“記憶”に閉じ込めた。 この違いが、そのまま彼らの戦いの“温度差”になって現れていた気がする。
無限城の階層がめまぐるしく変わるのは、まるで心の迷宮を進んでいるよう。 炭治郎は“痛みとともに歩く者”として、 猗窩座は“痛みから目を逸らしてきた者”として、 この城の中で、ようやく真っ直ぐ向かい合った。
印象的なのは、戦いの最中でも炭治郎は「怒る」のではなく「問う」ということ。 「なぜ、あなたはそこにいるのか」 「どうして、人を殺すんだ」 その問いかけは、猗窩座の“言葉にならなかった苦しみ”を浮き彫りにしていく。
この章で、炭治郎は剣士である前に、“共感する者”として描かれている。 それが、猗窩座という“感情に蓋をした存在”を、少しずつ揺らしていくんだよね。
対比が美しかったのは、“目”。 炭治郎の目はまっすぐで、涙を隠さない。 猗窩座の目は、怒りと後悔で濁っていて、でもどこか“泣きたがっているよう”だった。
つまりこの章は、「どちらが正義か」を描くんじゃなくて、
「それぞれが何を背負って、ここに立っているのか」を描く物語
だった。 無限城という舞台は、その心情の深さを剥き出しにする鏡だったんだと思う。
だから、このふたりがここで戦う意味は── ただのバトルじゃない。 「わたしは、もう泣けないけど、あなたは泣けるね」という、切なすぎる対話だったのかもしれない。
無限城は終わらない空間。 だけど、感情は、どこかで終わらせなきゃいけない。 その“区切り”の物語として、猗窩座と炭治郎の対比はあまりにも象徴的だった。
まとめ:歌も映像も背負う“猗窩座の孤独”と再生の予感
要点 | 詳細 |
---|---|
感情的焦点 | 猗窩座の内面、“終われなかった心”に寄り添う作品構造 |
主題歌の機能 | “語られなかった心情”の翻訳、選べなかった感情の声 |
全体の余韻 | 強さよりも、“しくじりとその先”に心が動いた物語 |
猗窩座というキャラクターは、勝者ではなかった。 でも、敗者でもなかった。 きっと彼は、「まだ途中にいた人」だったんだと思う。
無限城編 第一章が、そんな彼からはじまる理由。 そこには物語としての巧妙な伏線以上に、“感情の流れ”への深い理解があったと思う。 人は、戦う理由を見つけるよりも、“終わらせる理由”を見つける方が難しいから。
だからこの章は、“終わり”じゃなかった。 むしろ、「まだ終わってなかった物語に、ちゃんと終わりを与える」章だった。
AimerとLiSA、ふたりの声があって、ようやく語られた“猗窩座の揺れ”。 戦闘よりも印象に残るのは、あの静かなモノローグのような歌詞だったり、 崩れていく記憶の中で、もう一度だけ手を伸ばすような映像だったり。
「強さって、なんだろう」 「赦されるって、どういうことなんだろう」 そんなことを、ふと考えさせられた。 それってつまり、この章が「戦いの物語」を越えたってことだと思う。
猗窩座は、何も変われなかったかもしれない。 でも、観る私たちが、少しだけ何かに気づいてしまったのなら── それだけで、この章の意味は十分すぎるほど、あったんじゃないかって思う。
「誰にも言えなかった記憶が、誰かの心に届くことがある」
──それがきっと、“物語”の力なんだよね。
無限城という場所は、闇の中にあるように見えて、 ほんとうは「心の片隅に灯りをともす場所」だったのかもしれない。 たとえ太陽が昇らなくても、 たとえ残酷な夜にしか輝けなかったとしても、 猗窩座の物語は、ちゃんと届いた。 私の中に、そっと残った。
それはきっと、“再生”って言ってもいい気がする。
- 『鬼滅の刃』無限城編における“猗窩座再来”の深層心理と構成の妙
- AimerとLiSAによるW主題歌が猗窩座の“心の二面性”をどう表現しているか
- 猗窩座と炭治郎が無限城という“内面劇場”で交差する意味
- 主題歌の歌詞が描く「過去に戻れない者たち」の感情の余白
- W主題歌という演出が持つ、感情と構造の両面からの効果
- 猗窩座というキャラクターの“救われなさ”が生む共感と再評価
- “しくじりの感情”が主題となった異例の章が持つ物語的価値
【LiSA『紅蓮華』-MUSiC CLiP-(アニメ「鬼滅の刃」竈門炭治郎 立志編 オープニングテーマ)】
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